小説 川崎サイト

 

一番手

 

 一つのことが終わろうとしていると、既に次の準備が始まっている。倉橋は、まだ終わっていない一つのことが、無事やり終えられるかどうかも実際には分からない。しかし、次のことを準備中。これは並行してやっている。さらにその次のものもある。
 一つのものが終わり、次のもう一つのものに切り替わっても、やっていることは似たようなもの。ものは違うのだが、同じ一つのものの続きではないかと思えるほど。
 またはその拡張版とか、別バージョンとか。さらに全く違うところへ飛んだとしても、表向きは変わってもやっていることは同じことではないかと思えたりする。
 だから、全部が全部、一つのことのように思われるが、やはり違いはある。
 その一つ一つの違いはもの凄く良いものや、それほどでもなく、まあまあなものもある。そして最もいいもので、それに代わるものは見つからない場合、それをやり終えるのがもったいない。だから引き延ばす。または封印し、触らないようにする。やらないのだ。いいのに。
 これは倉橋の癖で、美味しいものを最後に食べるようなもの。食べてしまうと、楽しみがなくなる。いいものは最後に取っておくのだが、その頃にはもう満腹で、美味しさが違ってくるかもしれない。
 それで、一番良い状態で一番美味しいものを食べるのが好ましいのだが、そういう仕掛けを作ると、逆にプレッシャーがかかり、大層になる。それで思うほど美味しくなければショックだし、それなりに緊張する。
 一番いいものは後に回し、二番手や三番手ばかりやることで、これは気楽なためだろう。そのため、最近準備しているのは一番手候補ではなく、二番手や三番手候補が多い。
 こちらの方が安らぐためだろうか。一番手に比べ、大したことはない。だから期待もない。それは最初から分かっており、もし期待以上なら儲けもので、これは一番手よりも良かったりする。一番手は良くて当然なので。
 二番手三番手ばかりをやっていると、二流、三流の人になるのだが、倉橋はそうとは思っていない。一流である一番手がやはり一番で、一番いいのはやはり一番手。しかし、一流は疲れる。
 倉橋は、今回本当に一番手をやり終えようとしていた。たまに一番手をやるのだが、終わってしまうと淋しくなる。
 一番手として用意しているものは他にもあるが、その一つが消える。これは限りがある。そのため、二番手三番手の中から一番手に上げるものを探している。だから一番手をやりながら、次の準備も並行してやっているのだ。
 二番手三番手も好きな倉橋だが、一番手があってこその話。
 こういうのは教えられたことではなく、自然と倉橋が会得したことで。身に付けたもの。しかし、それもまた変わっていくのだろう。
 
   了

 


2023年6月25日

 

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