小説 川崎サイト

 

達磨屋敷

 

 山裾の樹木が多いところにある屋敷。風通しがよく、見晴らしもいい。山の取っつきだが、ここから先が山という区切りはあるが、その手前。
 しかし、そこもそれなりに高い場所で、勾配は緩いが、徐々に山の根を踏んでいる。
 そのため、屋敷の二階から下を見ると、見晴らしがいい。殆ど繋がっている感じで、山の頂からの風景よりもよく見える。
 そして風の通り道なのか、夏は涼しい風が入って来る。それを見込んで建てられた夏の家なのだ。
 海水浴場の浜にある海の家のようなものだが、砂地の浜から少し上がったところにある会社の海の家や別荘のようなのが山にもある。
 だから夏の家と言うよりも山の家だが、その屋敷、夏に特化している。冬は逆に寒い。
 この夏の家、ある団体のものだが、殆ど使われていない。維持費だけでも大変で、修理する場所が増え過ぎたので、放置してしまう。崩れても倒壊してもいい。どうせ土地ごと売るつもりなのだ。
 その団体の景気のよかった時期に出来たものだが、金が余っていたのだろう。何かで使った方がいい。それで、夏の家が採用された。誰も本気でそんな家など望んでいない。何でも良かったのだ。
 それで放置されてからしばらくしてから化け物屋敷と呼ばれるようになる。人が勝手に入り込んで暮らしていたりする。
 管理人はいない。それに辺鄙な場所にあるので、いちいち管理に来ない。値打ちのある掛け軸とかがあったが、そういうのは持ち出されているので、金目のものなどない。
 床の間の掛け軸はその後、掛け替えられた。画家が勝手に絵を掛けていた。
 その画家もしばらくの間はよく来ていたが、もう姿はない。飽きたのだろう。しかし、絵はまだ掛かったまま。それほど値の出るものではないし、その画家も趣味で書いているようなもの。
 浮浪者が寝泊まりしていた頃もあったが、最近は無人。近所の子供が冒険がてら庭や屋敷内を探検する程度。
 掛け軸の絵には達磨が書かれている。片目を開けているのだが、左目だったのか右目だったのかが曖昧。そこまで見ていないのだろう。その絵を見た人も。どちらにしても片目の達磨程度の認識。
 しかし、子供達は見た子により、右目と左目に別れた。では確かめに行こうと、皆で行くと、両目が開いていた。
 化け物屋敷、達磨屋敷と呼ばれるようになったのは、それからだが、何せ、子供達が言っていることなので、目ではなく、眉につばを付けて聞かないといけない。
 ある日、それを書いた画家が何年ぶりかで屋敷を訪れ、床の間の達磨の絵を見たのだが、両目とも閉じていた。
 
   了

 



 
 


2023年7月31日

 

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