小説 川崎サイト

 

予想

 

 予想すると、その予想が加わり、予想が変わる。予想しなければ、その予想は入らないので、そのまま予想通りになりそうだ。ただ、予想していないので、どんなことになるのかは分からない。だから当たるも当たらないもない。
 それで、予想したことを入れなから、予想する。予想が加わった予想だ。それも加えた予想もあり、さらにそれも加えた予想と、何処までも続く。ただ、それほど沢山予想するようなことがあるのか。
 予想できると注意深くなる。危ない場所は危ないと予想されているためだ。
 予想をしていない場合、急激に危ないものと遭遇する。そういう予想などしていない。ただ、とっさの判断で何とかするだろう。予測している場合、危ない箇所を避けて通ることができるので、安全だが、避けた先により危ないものがあるかもしれない。
 そこまで予想して、絶対に安全な道だと分かっている場合は、いい感じだ。しかし、そこまで考えるかというのもある。
 そして、予想外のことが起こるのは常で、予想の範囲を超えていると、これはもう別の問題になる。まさかその時、隕石が落ちてきたとかではないが。これは根本的なところで、終わっていたりする。地球そのものもただでは済まない。
 予想では、その先、危険な場所があるので、避けるというのもいいが、避けないでぶつかったことで、よくなることもある。
 予想していると避けるが、予想していないと、そのままぶつかるかもしれない。避けられるものなら、避けたいところだが、そうならない場合。
 しかし、これが、後に影響し、あのときにぶつかっていたので、その後よくなったというのもある。逆に、ただただ危険なだけで、ただの災難で、損をしただけというのもある。これがあとで生きるかどうかは分からない。
 徒労に終わった場合、損ばかりだが、徒労ではなかった場合は光ったりする。やることなすこと全て有意義なら、有意義の有り難みが薄れる。
 無駄なこともそうで、無駄ではなかった場合、それが光る。ただ、気持ちの問題だけかもしれないが、受け取り方が違うのは大事だ。
 喜怒哀楽の感情は原動力のようなもので、エンジンのようなもの。ここに点火させるのは感情だろう。
 その感情も受け取り方の問題だが、そう受け取ってそういう感情になったのなら仕方がない。感情をコントローするという小手先のことでは治まらないので。
 
   了

 
 


2023年8月6日

 

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