小説 川崎サイト

 

半沢家

 

 もう古い時代の話なので、よく分からないのだが、半沢家という家がある。それが結構長く続いているが、歴史の表舞台に出てくる家ではなく、誰かが書いた日記とか取引関係の帳簿に半沢の名がある程度。
 今も半沢家はあり、本家が残っている。そこは片田舎で、辺鄙な場所。今はもう半沢家は有名ではない。一人暮らしの老人が住む古い家程度。
 半沢家にも家系図があったようだが、今はない。しかし言い伝えがあり、それによると、その地を開墾した一つの家らしい。
 どこから来た人なのかは分からない。ただの百姓か、流人だったようだ。つまり、流れてきて、その地を開墾した。
 ただし領主がいる。そのあたりに勢力を持っているので、年貢などはそこに取られたのだが、半沢や他の開墾者達は寺領にしてもらう。名目だけのことだが、お寺の領地。実際には何処にも年貢を払っていないことになる。土地を所有したのに近い。
 昔のことなので、そういうこともあったのだろう。これは抜け道で、年貢逃れのようなもの。
 ただ、その地を寺が守ってくれるわけではないので、自衛しないといけない。半沢家はその役を引き受けた。
 武士の起こりではないが、それに近いものがあったのだろう。やがて、半沢家がその開墾地で力を得ることになり、一寸した豪族になる。その間、色々な勢力がその地を支配しようとやってきたが、寺領だと知ると、引き上げた。
 そんなことなど関係なく、その地を奪ってしまうこともできたが、半沢家がいる。これが武装しているので、迂闊には手が出せない。
 ただ、半沢家の兵と言っても少ないので、近在の似たような村と手を組んだりしていた。
 それでも強い勢力に押しやられ、年貢や使役を課せられたりしたが、半沢家が何とか交渉し、公家筋に頼み、形だけは荘園になった。
 つまり都の貴族の領地であり、寺の領地でもあり、たまに別の勢力の領地になったりと、色々と変化はあった。
 鎌倉の末期あたりからは、形だけの寺領のその寺に記録が残っている。年貢こそ払っていないが、寄進はしていた。余裕のある時だけだが。
 まあ、ただの檀家と変わりはないのだが、半沢家代々の墓も、その寺にある。
 半沢家などが入り込んで勝手に開墾したその村は、それなりに大きくなっていた。僻地だが、山の谷間まで開墾している。
 ただ、この村や、その一帯は半沢家のものではない。豪族風だが、ただの百姓なのである。ただ、余裕が出てくると村人も増え、増えすぎると半沢家が兵として訓練し、雇ってくれる勢力を見付けて、兵を貸していた。中には、そのまま常雇いになり、武家になるものもいた。世が乱れ、いくさが多くなってからの話だが。
 やがて半沢家はそれなりの郷士になったが、大した数ではない。
 こういう小さな勢力は色々と形は変わるのだが、結構生き延びている。元々土地に根付いた百姓のためだ。
 幕末には半沢家本家の屋敷は大きく、人も多かった。
 今も半沢本家は残っているが、老人が一人いるだけ。本家の建物も小さくなり、当主の家族しか住んでいないためだ。
 今の当主はその地から離れないが、その息子達は村から出て、独立している。
 老人が亡くなれば、息子があとを継ぐのだが、辺鄙なところにある半沢本家の屋敷は取り壊すだろう。かなり古いので。
 ちなみに寺領にしてもらったあのお寺、そして先祖の墓もあるのだが、廃寺になっている。
 ただ、半沢家がそれだけ長い間続いているので、その分家などの縁者はかなりの数だ。
 そこまで多いと、親戚というには遠すぎて、他人に近いが。
 半沢本家の子や孫達は、その家系の長さなど、あまり関心はないようだ。それほど自慢できるような家柄ではないためだろう。人に言っても、あっそうで終わる程度なので。
 
   了

 


 
 


2023年8月9日

 

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