小説 川崎サイト

 

予定通り

 

 予想通り、予定通り。これは決まっていることで、先ずそのように行く。だから予定が立てられる。
 その予定、いつものようにすんなりと行くだろうという程度のものでも、そうならないことがある。だから実際にやってみるまでは分からない。
 たまに予想とは違うことになっていたりするので。外れたときの外れ方まで何となく予想しているが、たまにそういうことになるので、予想が外れても、あり得ることとして何とかしている。
 しかし、これは絶対に外れないだろうというのがある。そう言う場合、予想と言うよりも、決まり事をやるのと同じなので、気にしないでいい。
 どちらにしても現実はやってみるまで分からない。終わってみて、やはり予想通りだったと思うのだが、万が一というのがある。万に一つなら、殆ど起こらないのでだが、百に一つなら、あるかもしれない。十に一つなら頻繁に起こっているようなもの。半々だと、ほとんど決まっていないようなもの。予想が二つに割れる。そのためどちらに行ってもいいように接するだろう。
 先の現実はあらかじめ、もう決まっているなどというのは考えにくい。しかし、決まっているとまずいことなら、決まっていない方がいいが。
 といって現実は実際に起こるまでは未確定のままで、本人次第で、現実が決まるとも考えにくい。考えてもいいのだが、本人が関与しないものは現実には存在しないようなことになる。
 全てがなるようにしかならず、最初から決まった物語があるとしても、本人が直接関わることで、物語が変わるのではないか。
 しかし、予想していたことは、殆どそのようになる。どうなるのかが予測出来るためだ。ただ、確率が高いだけで、予想外も当然起こるが、それも予測していたりする。さらにそこからも外れるようなことは、本当の予想外で、予想する必要のないこと。これこそ万が一の事態だが、そこまで考慮しないだろう。普段の暮らしの中では。
 全てが順調で、予定通り、欲した通りに進み、何の憂いもないときでもガクンと床が揺れ、大地震。そういうこともあるのだが、避けられない災難では何ともならない。
 そういうことではなく、小さな予想。いつも通りに事が運ぶ程度の予想。これは上手く行って当然なのだが、それでも実際にやってみないと分からない。しかし無事にやり終えると、ほっとするわけではない。当たり前のことが当たり前のように進んだのだから、当然のように思うが、そうならなかったことを思うと、予想通り行くのは有り難いことだ。その確率は非常に高くても。
 
   了
 
 
 


2023年8月14日

 

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