小説 川崎サイト

 

暑神の水羊羹

 

 暑い日が続いている。
 村の外れを歩いていた岩蔵は、老婆とすれ違う。妙な婆さんだ。百姓とは着物が違う。あまり見かけない顔。村人なら、ほぼ全員の顔を何となく知っている。それほどの数はいないので。
 岩蔵は後ろを振り返り、老婆の後頭部に声を掛ける。
「暑いですのう」と老婆はこたえる。
 他村の人かもしれないので、どちらからですかと尋ねる。
「この山の向こう側ですよ」
 その山は村の突き当たりで、その先は深い山が続いている。もう村はない。
「暑神様の機嫌が悪いようじゃな」
 聞いたことのない名だ。暑いので、暑神。分かりやすいが、そんな信仰があるのだろうか。しかし、全てに神が宿るというのだから、暑さにも寒さにも宿ってもおかしくない。それが信仰になるのかどうかは別。
 岩蔵は、あなたは誰ですかと、聞く。
「わしは神に仕える巫女のようなものですが、巫女にも色々とありましてな。わしの場合、色々な神々のお世話をするのが仕事です」
「誰から依頼されるのですか。神社ですか」
「神様から直接依頼されます。頼まれます」
 中間がない。直接取引のようなもの。間に何も入らない。直だ。
「何を頼まれたのですか」
「暑神様から水羊羹を供えてくれとのことじゃ」
「はあ」
「水羊羹。知らぬか」
「知っていますが、その神様、水羊羹を知っていると言うことですか。それが欲しいと」
「そうじゃ。そうすれば、この一帯は少しだけ暑さがましになるとか」
「じゃ、あなたは水羊羹を買いに行くところなのですか」
「そうじゃ。里に行けばあるじゃろ」
「この村にはありませんよ。町に出ないと」
「城下までか」
「そこは遠すぎましょう。村から少し行ったところに街道が交じるところがあります。町家が並んでいるので、饅頭屋か餅屋へ行けばあるでしょう」
「ありがとうな」
「いえいえ、でも菓子屋があれば、一番よろしいかと」
「買ったことがおありか」
「そういうのを売っていたのを見ただけですが」
「ああ、いい人と話せた。助かります」
 老婆は去って行った。
 山の奥、山の向こう側に住んでいると言っていたが、本当だろうか。もう村も家もないのに。もしかして山の裏側の他国から来たのだろうか。しかし、水羊羹を買いに山を越えてきたとは思えない。
 それにその暑神様のお宮は何処にあるのだろう。供えると言っていたのだから、そういう社があるはず。
 だが、建物などはなく、暑神様に直接渡すのかもしれない。
 岩蔵は山を見ながら目を下に落とすと、白い道が延びている。これから山菜採りに行くのだが、白い道が眩しい。
 そしてまた振り返ると、老婆の後ろ姿がまだ見えている。
 夢幻ではないようだが、あまり聞いたことのないことが岩蔵に起きたのだろう。
 
   了

 
 
 


2023年8月15日

 

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