小説 川崎サイト

 

固定概念

 

 いつもの流れが変わってしまうとギクシャクする。やっていることは同じでも、状態がいつもと違うと勘が狂う。流れには区切りがあり、ずっと同じことをやっていても、それなりの区切りがある。これは時間的に区切られることもあるし、疲れたので、一休みとかも。
 全体の流れを把握しているわけではなく、これをやればこれ、それが済めばこれと、順序よく並んでいる。順番があるのだ。
 後の方にあるものも、何となく把握しているが、順番が決まっているのなら、順々にやれば全部片付く。だから、全体を見ていないこともある。これは決まっているので、考えなくてもいい。
 ところが何かの事情で順番や場所が変わることがある。これは面食らう。いつもの流れとは違うためだ。その流れはやっていることや、場所や、時間帯なども含まれる。
 そしていつもやっていることなのだが、条件が変わるとできなくなったりする。いつもなら簡単にできるのに。
 しかし、実は簡単ではなかったことに気付いたりする。流れに押し出されて、やれただけで、今からそれだけをやれといわれても、できなかったりする。勝手が違うためもあるが、深く考えないで、順番だからやっていけたのだ。
 いつもやっていることだが、その順番とかに関係なく、一つだけ抜き出して、単発でやるとなると、改まってしまう。違うものと接しているように。
 だから、全体の中の一つで、順番の中の一つ。サンドイッチのように挟まれていたことになる。その両側のパンがなくなり、具だけになると、勝手が違う。掴みにくいし、食べにくい。そして既にサンドイッチではないのだが。
 日常での繰り返しでもそうだ。一つ何かが入ると、前後に影響するし、一つ抜かせば、間が開いてしまう。
 いつも通りだとこなれている。やることも決まっており、毎日やっていることなので、安心してできる。
 これは既成事実があり、それによって固まっているため。こういうのを固定概念とも言われるが、寄りかかれる柱のようなもので、ないとグニャグニャし不安定。
 固定概念は壊す気などなくても、同じことを繰り返しやっている間に、変わっていくもの。変える気はなくても。
 
   了


 
 
 


2023年8月18日

 

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