小説 川崎サイト

 

前の宮

 

 前の宮の官兵衛さんがおかしくなった。このあたりでは名士で、今は隠居さん。しかし若いうちに隠居しているので、暇人でもある。
 暇な暮らしを早くから憧れていたのだろう。その暇潰しで、どうでもいいようなことを調べたり、考えたりしていた。
 しかし、その内容が怪しく、神秘的で、そちらへ行ってはいけないような事柄。流石に官兵衛さんはその入口付近でやめているが、その奥があることをよく知っている。謎に満ちた神秘世界が展開されているはず。
 その官兵衛さんの様子が最近おかしいので、神秘世界に入ったのではないかと噂された。官兵衛さんは分家だが、本家が心配して様子を見に来た。
 それよりも先に思い当たることがある。場所だ。前の宮という場所。確かに前にお宮さん、つまり神社がある。この神社が古く、いつ誰が建てたものかは分からない。社ができる前から何かが祭られていたのだろう。
 官兵衛さんは敢えて前の宮に住むようになったのは、そのことが暗にあったのかもしれない。
 何か訳の分からないものが祭られており、神なのかどうかも分からない。得体の知れないものを祭っているのは、得体が知れないためだろう。
 だからその正体が顕わになり、ややこしいことにならないように、土地の人が祭っていたようだ。これでややこしいものは出てこなくなると。
 本家の人は、色々とそのあたりを聞きかじっている。官兵衛さんが妙な人なので、それが心配なのだ。前の宮に住む目的も、そのややこしいことと関係するのではないかと思っている。
 官兵衛さんにもしものこと、これは何かよく分からないが、ややこしいものに巻き込まれたりするのは本家にとっても恥のようなもの。外聞が悪いのだ。
 それで本家のその人、まだ若い。当主の弟だ。だから本家当主もかなり若いのだ。分家の官兵衛さんの方が本家当主にふさわしいような風貌があるほど。
 それで、本家の人が寝床の官兵衛さんを見舞った。体調を崩しているのは知っていた。だから見舞いだ。別にややこしい神秘世界に入っていないかどうかを見に来たわけではないが。
「季節の変わり目で体調を崩しただけだよ。しかし、逆によくなった箇所もある。ずっと悪かったんだが、治っていた」
「何か、治療でも」
「悪かったところは放置していた。そのうち慣れた。これは治らないものと諦めていたのだがな」
「でも今は体調がお悪い」
「だから、季節の変わり目は毎年そうじゃ。病とも言いにくい」
「それを聞いて安心しました」
「そうか、本当はあっちのことを心配して来たんじゃろ」
 言い当てられてしまう。
「まだ、あの神社の研究をされているのでしょ」
「いや、土地の人が知っておる以上のことは分からん。だから、それはもう放置した」
「この前の宮の地、あの神社に祭られている得体の知らないものがよく通るとか聞きましたが」
「それは誰でも知っておる。ただ、何処へ行くのに通るのかな」
「通っているとき、出合ったのではありませんか」
「誰が」
「官兵衛さんがです」
「わしか。そして誰と出合ったというのかな」
「その得体の知れぬものに」
「怖いことを言う。わしより重症じゃないか。そんなことがあると信じておるのか」
「いえ、いえ、噂です。官兵衛さんはもっと詳しく調べられていると思うのですが、どうなのです」
「いろいろと考えられるが、そんなものはおらんような気がする」
「じゃ、神社で祭っているそのものもいないと」
「何かいそうな雰囲気がしたんじゃろうがな。それで祭りだし、お宮さんまで建てた。まあ誰も実体が分からぬまま」
「やはり調べているじゃありませんか」
「そうじゃない。想像じゃ」
「でも火のないところに煙は立たぬと言いますので、何かあるのでしょ」
「何かありそうな雰囲気だけ。実体はない。あとは想像するだけ。あそこの神様はそういうことで浮かび上がったのだろうね」
「ただの想像なのに」
「だから、前の宮は神様の通り道という話も作ったものだろう」
「そうなんですか」
「通り道はいいが、何処へ行くんじゃ。そこまで作れなかったのかもしれんな」
「でも、前の宮の町を歩いている妙な人を見たと噂にはありますが」
「しっかりと、見たわけではないようじゃ」
「調べられたのですか」
「少しはな」
「奥へ行かなくて、よかったです」
「奥?」
「官兵衛さんがそれを信じて、奥へ奥へと入り込んでいるのではないかと、本家でも心配していたのです」
「まあ、いい。疲れた。体調が優れぬ。これぐらいにしてくれ」
「はいお大事に」
「うむ」
 
   了


 
 
 


2023年8月20日

 

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