小説 川崎サイト

 

聖人のお言葉

 

 吉田は人生訓を読み過ぎた。食べ過ぎた。過食だ。しかも色々な先人の残した大事は話や、生き方の指南。なるほどそう言うことかと目からウロコを何枚も落とした。さらに別の生きる知恵とかを読むと、これもショックを受け、落とすウロコがなくなった。
 目からウロコ。これは落ちるとき、気持ちがいい。しかし目からウロコを落としすぎると、その快感もなくなる。
 さらに生きていく上で大事なこと、これをすればうまくいくというのも腑に落ちた。これも内臓が足りないほど落ちすぎ、臓器が肥大した。これも食べ過ぎだ。
 目からウロコ、腑に落ちた。この瞬間はいいが、そのあとがいけない。別に副作用が出るわけではないが、大事なお言葉とかの教訓が頭にチラついて、やってはいけないこと、言ってはいけないこと、思ってはいけないことに囲まれてしまった。
 つまり、禁じ手が増えた。これが苦しい。またやるべきことも増えた。毎日ああしろ、こうしろ、人と向かい合うときはああしろこうしろ。態度もこのようにせよと、がんじがらめ。窮屈で仕方がない。
 それこそ屁もこけない。しかし、それは今まで接したお話しの中で禁じ手としてはないので、これはいいのだろう。
 態度、物腰に関しては、これは体が引きつってしまい、ぎこちなくなり、逆に姿勢が悪くなった。
 自己を知るというのもある。自分は何者であるのかを知ることが大事とか。そしてその答えがとんでもないところに持って行かれる。それなら自分など知らない方がよかったような感じだ。
 それに自分が知っている自分ではない自分とは誰だろう。それはもう自分ではなくなる。そして、それを知ったとき、美味しいことがあるわけではない。
 吉田はそれで疲れのだが、疲れたと言ってはいけないという教えが来る。困ったものだ。安堵できる状態がない。
 寝ているときなら大丈夫。しかし、朝、起きたときの態度も説かれていたので、その通り実行するとなると、何故か嘘臭く、作為丸出し。一人芝居をしているようなもの。誰かに見られると恥ずかしい。
 それで吉田は、面倒なので、そういった教えを捨てた。捨てる以前に身についていないので、最初からなかったのだが。
 薬も飲み過ぎると、毒になるというが、これは体力がいる。精神力も。それで、いつもの吉田のやり方に戻った。これは何も考えなくてもいい。それなりにできあがった世界なので、無理がない。
 これで、やっとほっとした。よく考えると先人達も誰からから教えを請うて身に付けたのではなく、自分で見付けたのだ。吉田もそれをすればいい。吉田だけに当てはまればいいだろう。しかし、それは既にやっていたことなので、今更始めることもなかった。
 これで吉田は聖人と並んだようなもの。そう思うと、気が楽になり、優位な気持ちになり、余裕ができた。しかし、吉田の考え、他の誰一人にもあてはまらないので、語ることはないだろう。
 
   了

 





2023年8月26日

 

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