小説 川崎サイト

 

里見村の祈祷師

 

 里見村の祈祷師がよく効くという噂があり、名医が訪ねた。暇なのだろう。藪で流行らないのかもしれないが、町では名医とされている。だから名医即藪という意味での名医。
 里見村の祈祷師は医者ではない。また神職でもないし、僧侶でも行者でもない。また祈祷師らしい服装もしてない。ただの年寄り。まるで野良仕事が嫌でサボっているようなもの。家は百姓で、その三男坊。
 加持祈祷が専門で、村でもその扱いだが、加持も祈祷もやったことがないし、祝詞も知らない。覚える気はない。
 それなのに、その祝詞が効く。しかし実際には祝詞ではなく、意味不明の言葉を?に乗せて歌っているだけ。これは唱えているといった方がいいのだが、言葉になっていないし、お手本もない。それなのに効く。
 当然効かない人もいるが、医者に掛かるよりも安く上がり、それに治る人も多い。実績がある。別に奇跡をその場で起こすわけではないが。
 稼業にしているので、それなりの報酬は受け取る。大した額ではなく、本人次第の金額。また、治ってからお礼として持ってくる人もいるし、隠していた米俵を持ってくる人もいる。大根一つとかもあるが。
 治らなかった人はいない。その前に亡くなっている。
 また、祈祷後、治るまで数年かかったりすることも多い。これは勝手に治っているのだが。
 その名医、その祈祷師の術を知りたい。そのカラクリを。
 それで聞き出そうと遠回しに問いかけたのだが、祈祷師もそれを察し、よろしい、教えて上げましょうと説明しだした。
 先ずは、その祝詞のようなものを名医に聞かせた。名医はそれを体で受け取る。この時の心良さは盆踊りの音頭取りの音色に近い。良い声なのだ。それに節回しが絶妙で、滑らからに体に入ってくる。ああこれかと名医は説明を聞く前に分かった。これが答えなのだ。
 子守歌で赤ちゃんを寝かせるようなもので、また子供が痛くて泣いているとき、親がマジナイの呪文を唱えるようなもの。短いが。
 要するにそれの大人向けなのだ。
 あなたはそれを何処で会得されたのですかと名医が聞くと、子供の頃から音の出るものは何でも好きで、それに言葉を乗せて歌っていたらしい。ただ、その言葉は出鱈目。
 名医は祝詞の言葉を書き留めようとしたが、言葉になっていない擬音のようなものなので、記せなかった。
 それにその祝詞、相手によって変わるらしい。どうして変わるのですかと聞くと、その人の息に合わせるらしい。
 息に合わせるとはどういうことですかと聞くと、相手の気持ちになること。それは無理だが、できるだけ相手の心情に合わせることと答える。
 要するに呼吸を合わせるのではなく同情することだろう。しかし、同情とは違うと祈祷師は答えた。
 名医は、これは難しくて会得できないと思い、引き上げた。
 
   了


2023年8月29日

 

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