小説 川崎サイト

 

面を上げよ

 

 志村郷にややこしい男がいる。百姓だが土地を持っていない。小作人をやっていたこともあるが、やめている。
 生業は手伝い。ただし田んぼは手伝わない。忙しい時期、人出がいるのだが、知らぬ顔。性に合わない。
 そんなややこしい男でも、村は抱えている。それぐらいの余裕があるし、他の人ができない嫌仕事をやってくれる。やると穢れるような。しかし、その男、進んでやる。
 狐に憑かれた村人が出た時も、活躍し、狐を落としている。一人ぐらい、そういう人材がいてもいい。困ったときに、役立つこともあるので。
 そんなとき、志村郷で刃傷事件が起きた。旅の侍が斬りつけられたのだ。役人が来て調べると、どうもあの男が怪しいとなる。
 見かけからして不審。他の村人とは違う。いかにもやりそうな男で、すぐに捕らえられた。男は抵抗しなかった。
 しかし、確証があったわけではない。その男が武家に斬りつける理由がない。もしかすると、誰かから頼まれたのではないかと思い、厳しい取り調べがおこなわれた。拷問とまではいかないが。
 それで自白すれば、簡単。
 だが、白状しない。
 男は、そんな武家は知らないと言うし、また村人も、そんなお武家様が村に来ていたことも知らない。誰も見ていないのだ。
 その武家、斬られて怪我をしたわけではない。ただ、けしからぬ村だと怒っている。襲ってきた男は顔を隠していた。
 取り調べの役人も、形だけでいいだろうという感じで取り上げた。大した事件ではない。
 そして、その武家、ある日、消えてしまった。取り調べが長引いたため、長居できなかったようだ。
 武家は牢のその男を見たが、分からないという。
 しかし、あの男も、あの武家も、何かおかしな雰囲気。
 それで、面倒なので、その男を解き放すことにした。
 その前に、村人達からの陳情があり、さらに大庄屋が直接来て、助けに来ていたのだ。
 流石に役人もそれで折れた。それに、この件はもう早く終わらせたかったのだろう。
 男は縄を解かれ、役人達のいる場所に連れてこられた。土下座している。
 奉行格の役人が面を上げよと、男に言う。
 どんなやつかを見たいのだ。取り調べは下の役人がやっていたので、上役は初めて見る。別にわざわざ見なくてもいいし上役の出番でもない。
「面を上げよ」
「ははー」
「面を上げよ」
「上げております」
「それがそちの顔か」
「はい」
「嘘をつけ、まだ俯いているではないか」
「上げております」
 他の役人や、見に来た村人達は顔を上げているのが分かるが、その上役には見えないらしい」
「面を上げろというのが聞こえぬのか」
「上げております」
 横の役人が、上げていると上役に伝える。
 上役も、そうなのかと思い、それ以上言わなかった。
 この上役、後に、その男のことを妖怪だと記している。妖怪を見たと。
 では、その上役、一体どんな顔を見たのだろう。まさか顔か頭かが分からないような顔だったというわけではあるまい。
 この上役も怪しい。
 
  了


 
 


2023年9月14日

 

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