小説 川崎サイト

 

道を変える

 

 一つ道を変えると、違った風景になる。
 いつも通る道筋。これは決まっている。いつの間にか決まったのだろう。
 一本道なら変えようはないが、並行して走る道に変えることはできる。そちらは遠回りになるので敢えて選ぶことはない。
 平田がいつも通る道。いくつも曲がり角があり、何処で曲がっても似たようなもので、距離的には変わらないのだが、やはりよく通る道を選ぶ。
 これは選ぶも何も勝手に曲がっていたりする。たまに行きすぎることもあるが、作為的ではない。
 平田はその日、作為的に道を変えた。どうして変えたのか。
 理由は、たまには違う道を通るのも良いだろうという程度。しかし、これは余裕だ。考えること、思うことは他にも色々ある。通り道のことなどはどうでもいい。通れなければ別だが。
 だから敢えて変える必要はないし、そんなことは普段からも考えていない。
 ところがその日の平田は違っていた。道だけの問題ではなく、一寸違ったことをしてみたいと言うこと。これは大事なことなら下手に変えるとあとが面倒。道なら、問題はない。
 そしていつもは入り込まない道に入った。少し遠回りになることは分かっていた。そこが犠牲になる。移動のために時間を使うため。
 まず、その決心。覚悟。これも大層な言い方だが、道を変えることで、そのあと、影響が出る。その覚悟。これはいつもの道なら、そんな覚悟はいらない。
 そして入った道。そこは何度か通ったことがあるので、知らない道ではない。町並みも覚えている。特にどうということのない風景。いつも通っている道筋の風景とそれほど変わらない。
 その違った道、姿を現した。その沿道。
 以前と変わっていないように思えるが、かなり前なので、少ししか覚えていないので、以前はどうだったのかも曖昧。
 そして、その後、起こった変化もあるだろう。更地になったり、庭木が伸びていたり、空き家になったのか、門に蔓草が巻き付いていたり。
 一年ほど前、一度通ったことを平田は思い出す。その一年分の変化は平田が見ていなくても起こっているだろう。平田が通ったとき一年分の変化をサッと表示されたわけではない。見るまでは分からないのだが、見ていなくても動いているだろう。庭木は伸びる。平田が見ていなくても。
 一年前に通ったきりの沿道。覚えているものもあるが、忘れているものもある。こんな建物があったのかとかと思うのは忘れていたためもある。
 また新たにできたものは忘れるも何もない。記憶になくて当然。しかし、全体は何となく覚えているもので、違和感はない。
 一年前の風景、それは平田の記憶の中だけにあるわけではない。ただ、印象は違うが、同じものを見ている人がいるだろう。近所の人や、その通りの家の人とか。配達の人とか。ただ、普通の通行人は少ないようだ。
 風景も動いている。ずっと営業中。平田が見ていようが見ていまいが。
 道を変える。それは、一寸積極的。一寸だけ揺さぶってみたかっただけなのかもしれない。
 平田が違った道に入り込んだのは、そういう盛り上がりのある日だった。
 
   了

 
 


2023年9月15日

 

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