小説 川崎サイト

 

世が世なれば

 

 篠原は血筋はいいのだが、今ではもう役に立たない。篠原一族の本家で、その直系で、何代目かに当たる。しかし、それが役に立つことはあまりない。
 篠原家の家老の家柄の子孫が今の篠原の上役。この偶然に驚いたが、その地位が逆転することはない。
 家来のほうが偉いのだ。しかし、実力でそうなったのではなく、長く勤めており、程々の成績なので、部下を持つ地位になっただけ。
 その部下が主君の子孫と言うこと。その子孫が弱いので、逆転したわけではない。新卒で入社。最初から高い地位など不可能。
 それ以前に篠原家は大名として明治まで残らなかった。小藩で一万石あったが、取り壊されている。これは江戸初期のことなので、長くは続かなかったのだ。
 室町時代の動乱期、のし上がってきた豪族に過ぎないので、由緒正しき家柄ではない。
 その頃からずっと家老として付き従っていた家来が、先ほど触れた篠原の今の上司。
 その上司も篠原の身元が分かってからやりにくくなった。元主君。しかし、今はその間系ではない。
 だが、上司はその部下に一寸だけ遠慮気味。もう遠い時代で、歴史の中でも出てこない家柄。ただ、江戸時代の初めに一万石を領し、藩主だったので、記録はある。ただ、一般的には知られていない。
 また藩主だった頃の領民も、すぐに別の藩主と変わったので、エピソードも残っていない。短い期間だったのだろう。
 それと出身地の村では流石に篠原家は名家だが、何せ室町の頃だし、その後、その村も領主が次々に変わり、地元の人も入れ替わったりした。
 明治の頃の篠原家はただの百姓で、細々と生き延びていた。家来などもう関係がない。
 そんな篠原の子孫なので、先祖は殿様だったことを言っても、没落の印象しか残せないだろう。
 上司と部下。関係が逆転しているが、上司は主君ではない。会社なので。
 世が世なれば、ということだが、その世とはどんな世だろうか。
 
   了


 
 


2023年9月21日

 

小説 川崎サイト