小説 川崎サイト

 

生活道路

 

 朝はまずまずの天気だったが、昼から曇りだし、夕方近くは雨が降りそうな空。
 高峯は朝は元気だったが、夕方前には萎んでいた。天気と合わせたわけではないが、それに引き摺られた感じ。
 では元気なら何をしていたのかというと、元気がないときとあまり変わらない。ただ、同じことをやるにしても元気なときの方が気持ちがいい。多少嫌なことでも、それを飲み込める元気さがある。呼吸が良いのだろう。吸い込める。
 朝、立てていた積極的な方針。これが夕方になると崩れだし、消極的になった。天気の影響ではないが、そう言う気分が勝ったのだろう。その方針、元気なときに考えたものなので、それが落ちると、もういけない。
 それで、その方針、考え直すことにした。今度はより消極的な方向に持って行くのではなく、身の丈に合わせた方針。身の丈は伸びたり縮んだり太ったり痩せたりする。当然体のことではなく、思っていることだ。
 だから、どちらにも傾いていないような平均的なところ、平凡なところに落ち着く。それなら何も考えなくても普段からやっていることなので、敢えて方針など作らなくても良い事だ。それに気付き、余計な企てをやめた。
 そのうち普通にやっているとき、湧き出すだろう。それに乗ればいい。そして、元気がないときはそれに合わす。低空飛行でいい。それが標準になるのではなく、また上げるだろう。変化するのだ。
 これは放っていても上がり、放っておいても下がったりする。そのきっかけはよく分からないが、これも気分的なもの。このあたりでもう良いだろうというタイミングがある。
 夕方前、高峯は下り坂。雨が降り出してきた。これは散歩などしている場合ではないが、出る時から怪しかったので、傘は持ってきていた。
 住宅街の何でもないような生活道路。車は滅多に入ってこないが、沿道の家の車がたまに通る。あとは配達の車だろうか。
 生活道路。その沿道の人しか通らないような道。しかし高峯のように他所の町内から来た人間もいる。これは犬の散歩者もそうだろう。
 意外と遠いところまで行きたがる犬がいる。その犬もしんどいときはさっさと帰るだろう。
 生活道路は、その道路で生活している人のことではない。それなら路上生活者だ。そして、生活とは何だろうと高峯は考えた。生きているときの活動と単純に考えれば、全てのことを差してしまう。寝ているのも生活の一部だろう。
 衣食住などは生活臭さがある。仕事していなくても、これという活動をしていなくても、生きている限り生活だろう。
 高峯の発想が低下する。元気が落ちたときは、地面すれすれをウロウロするようだ。
 
   了


2023年10月3日

 

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