小説 川崎サイト

 

偶然

 

 そこにしばらくの間、立っている人なら、一分や五分、数十分ほど早くても遅くても遭遇するだろう。電柱がずっとそこに立っているように。
 これも数十年後は新しいものになっているかもしれないが、その位置は同じようもの。
 ところが行き交う人、すれ違う人はそうはいかない。五分早すぎたり遅すぎると、すれ違う場所が違ってきたりする。早いと、まだ相手は遠くの方にいるか、まだその道に入ってきていないので姿を現さない。
 真っ直ぐに伸びた道なら、五分の違いがよく分かるが、その相手、同じ時間に歩いているとは限らない。
 バスが時刻通り来ないように。その日の道路事情や客の数にもよるだろう。多くの客が乗り込んでくれば、それだけ発車が遅れる。その逆も。
 また、かなり早かったり遅かったりすると、いつもの人ではなく、別の人とすれ違ったりする。当然前を行く人や後から来る人も。いないときもあるが。
 一寸した時間のズレで、信号も違ってくる。また、歩くスピードも日により違う。一分ぐらいは違うかもしれないが、遅れているときはそれなりに早い目に歩くだろう。気がせくような感じで、早足になる。遅れを取り戻すため。
 これだけ見ても、偶然の積み重ねのような気がする。それで支障が出るわけではないが、車と接触し掛かり、間一髪で大事には至らなかったとかもある。その時間にそこを通らなければ起こらなかったこと。また一秒ほど早ければ、ひかれていたかもしれない。
 まあ、車にも事情があるのだろう。普段ならもっと安全運転をしてるとか。そちら側も、その時間にピタリとそこを通過するとは決まっていない。
 五分ズレると、そのあと起こることが全てズレて空回りになることもある。決まった時間に起こることなら、その時間に行けば問題はない。その時間は決まっていても、見なかったとか、知らなかったとかもある。
 それらの小さな偶然とか、ありふれた偶然は、多少のズレなら回収できる。しかし、今までにはなかったものは、新ネタで、予定にないことだったりする。
 また、良い偶然、間の良い偶然がピタリピタリと連続して起こることもある。連鎖的に。当然その逆に填まることもある。それが半々かどうかの判定は本人次第。
 偶然は何処でいつ起こるかは分からない。だから偶然。
 また、偶然だと気付かなかったりする。それほど大した問題でなければ。
 しかし、凄い偶然が重なったとき、少し怖い気もする。それがいいことでも。
 
   了

 



2023年10月10日

 

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