小説 川崎サイト

 

探している境地

 

 徳田は探しているものがある。しかし、それに近いものを見付けても、納得できないところがある。これではないとは思うものの、一応調べてみる。
 しかし、違うようだ。徳田が探しているものと。それはもう随分と昔からで、そんなものはないのかもしれない。
 ある人によると、言葉では伝わらないという。だからそれを知っている人がいても、伝えるのは難しいので、色々と比喩を使い、そのニュアンスを伝えようとするが、それでも、ピタリと填まらない。
 ここが勝負なので、ここでピンとこなければ駄目で、他の言い方に変えてもらうしかない。
 それで似たようなことを言っている人の話を聞くと、やはり同じことを説明しているらしい。
 そしてたとえ話でそれを伝えようとするのだが、徳田にはやはり無理だ。分かった気もしないわけではないが、芯からの理解ではない。上辺だけ。だから分からないのと同じこと。
 それで別の人のところへ行くと、境地だという。その境地に入らないと体得できないと。芯から理解するには、その境地に入り、実体験するしかないと。
 それで、徳田は試してみたのだが、これは実験のようなもの。必要に迫られてのことではなく、儀式のようなもの。こういう踊りをすれば、こういう心持ちになるだろうという程度。
 これも結局その境地、浅く、本当の境地には至らなかった。
 次はその境地を言葉だけで、グリグリ、ガリガリと説明する達人を見付けた。これなら聞くだけ、読むだけでいけるので、楽。
 妙な体験などしなくてもいい。それは以前から調べていたときもあったことだが、やはり言葉の壁に突き当たるようで、途中からピントが合わないようになり、曖昧になる。
 今回は、そうならないような弁舌や文章力のある人。
 しかし、言葉が難しく、境地以前の言葉上で引っかかり、何ともならなかった。
 大凡の理屈は分かるが、何故そうなるのかが曖昧。間がかなり抜けている。段差がある。本当に説明がいるところに穴が空いているのだ。
 徳田はそういう境地に至った人はどうやって入れたのかを調べた。
 共通しているのは、妙な体験をしたことが元になっていることが分かった。ただ単に話を聞いたり本を読んだりの状態は特殊な体験ではない。しかもその体験、かなりショックな体験らしい。
 誰でも体験できることではなく、偶然その体験があった人だけ。
 だから徳田のように学ぼうとしたり、教えてもらう態度だけでは無理だということに気付く。
 そして共通して言えるのは、それらの人達は、その後、何をして過ごしているのかを調べると、それを伝えることを仕事にして食っていることが分かった。
 徳田が探しているもの。もっとシンプルなもので、単純なことなので、分かればそれでいいだけのこと。体験とか境地とかではなく。
 
   了


2023年10月11日

 

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