小説 川崎サイト

 

秋祭りののっぺらぼう

 

 妙な世界だ。竹内はそんな感想を抱いた。
 そこは夢の世界。寝ているときに見た夢の世界。夢は夢なので、それだけのことだが、現実と少し重なっている。
 そこに竹内がいた。それを竹内だと分かったのはいいが、誰が竹内と判断したのだろうか。それは夢の中の竹内自身だ。
 すると、そんなことを把握する頭があるということ。だから、起きているときの竹内と変わらない。
 夢の中の竹内が見た夢の世界。見ている竹内が主体なので、それが夢だとはまだ気付いていない。
 竹内が見ている夢の世界。それはただの町角。秋祭りのようなのでもあるのか、神輿が出ている。場所も特定できる、何度か見たことがあるので、その記憶が再現されているのだろう。
 しかし、見たことのないシーンもある。それはお神輿の見え方だ。とある通りを神輿が行くのだが、その角度、そのアングルでの神輿やその周りの人を見るのは初めてのように思われた。
 これは夢から覚めた竹内の記憶ではなく、リアルタイムで、ライブ的に見ている夢の中の竹内の印象。
 神輿の中に子供がいる。背丈は子供だが、顔は人ではない。獣でもない。目鼻のない面でも被っているような。それなら紀ノ國坂ではないか。のっぺらぼう。
 これは確かに記憶にない。子供ののっぺらぼう。どこか大きな照る照る坊主に似ている。案山子に近いのだが、へのへのぐらいの目鼻はあるだろう。
 そういうのが合成されて、のっぺらぼうの小学生ぐらいの子供が神輿の中で太鼓を叩いているのか。
 夢の中での竹内は、そこまで考えていない。受け入れている。お神輿の中にはそんなものもいるのだろうと。
 ただ、不思議には思う。だから妙な世界だなあと感じている。やはり違和感はある。
 ただ、周りの担ぎ手はそれを知らないようだ。また見学の人も、気付いていない。
 その夢はショートショートで、そのワンシーンだけで終わる。
 目が覚めた竹内はそれを覚えている。一寸だけ妙な気がした。見てはならないもを見たような気持ちになる。
 ただの気持ちだけの問題で、夢なので、実際に起こったことではないので、捨て置いても問題はない。現実には関わってこない。
 ただ、今年も秋祭りで神輿が出る頃。それはポスターなどで知っている。何処を何時頃に通過するかも。
 もしかすると、のっぺらぼうが神輿に乗っているかもしれないと思い、見に行くようなことはしないが、普通の神輿が通っているだけよりも、夢の中で見たあの神輿のほうが生々しく思えた。見に行かなくても見たのと同じ。
 夢の中の妙な世界。そちらの方が突き刺すものがあった。
 
   了


2023年10月12日

 

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