小説 川崎サイト

 

自然

 

 時代が変わるのか、本人が変わるのか、吉田は最近考えた。世の中が変わっていくのは確かだが、そちらが変わらなくても、吉田側での変化がある。
 それは好みとかの問題もあるが、コロコロと変わる。先へ向かっているかと思えば、その前に戻っていたりするが、同じものではない。これは時代の変化はそれほど受けていない。吉田側の事情だ。
 その吉田の変化に沿ったものへと向かうのは自然だろう。他に影響がなければ。
 そして自然に任せて進むと、意外と古いものに戻されることがある。すると、先々考えていたり、準備していた新しいものが全部無駄になる。これはもったいない。
 しかし、そちら側への興味が薄れたので、戻ろうとしていたのだろう。ただもったいないが。
 その頃は、それが自然な流れだったはず。しかし、そこを進んでいくと、もうそれはいいか、となりだしたのも自然な流れ。
 自然はいいが、自然も変化する。いつも同じような動きではないのだろう。ただ、吉田の自然な動きとか、流れというのは胡散臭い。本当に自然なことなのか、作為があったのではないか。
 しかし、その作為も自然な流れで、そんな作為を企てたのかもしれない。
 自然には不自然な自然はない。そうでないと自然とは言えない。ただ、この自然、結構あやふや。
 自然体というのもそうで、作ったり、作為的な自然体もある。むりとに自然な感じに持っていくとかだ。
 それも含めて自然な動きの内かもしれないが。
 それで吉田は分からなくなった。これもまた自然なのだ。ということは何をどうやっても同じようなものだと言うことだろう。
 演技とかわざとらしい動きというのは不自然だが、それをやろうという流れは自然かもしれない。
 自然も変化するので、当てにならないが、変わることが自然の摂理かもしれない。
 吉田の判断では不自然と思えることも、実は自然な流れだったりする。では吉田の判断が間違っていたのだろうか。
 そういう判断をすることも自然な流れなら、その間違いも、自然な間違いで、素直に間違ったのだろう。
 しかし、人が頭の中で考えたことは、自然だろうか。大自然の自然ではない。かなり作為的。
 この人為的な自然は自然に入るのだろうか。そのものは不自然だが、そういうふうに流れるというのは自然かもしれない。
 
   了
 


2023年10月24日

 

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