小説 川崎サイト

 

達成感

 

 達成感は簡単に手に入るものや得られたり見つかったりするものではないので、値打ちがある。
 朝ご飯を食べたあとの達成感はないが、それがなかなか食べられなければ、やっと果たせたとかになるだろう。本人の事情により、変わってくる。
 ただ、すぐにできるような、果たせるようなことなら、達成感も何もなく、何も思わない。
 当たり前のことであっても、それが当たり前にならない時期が続いていると、同じことでも達成感が来るが、達成とは何かを目論んでいるときに使うことが多い。
 目的のようなものがあり、それが果たせたとき、達成感や場合によっては征服感とか、色々と言い方は違ってくるが。
 そして、その達成感、小さいのから大きいのまである。それぞれ重力が違うように重さが違うのだろう。
 一生掛かっても達成出来ないことを運よく果たせたとすれば、これは大きい。並みの達成感ではない。これは感動を引き起こすだろう。重いし深い。
 しかし、そんな大ネタではなく、月に一度とか週に一度ぐらいの範囲内で果たせるものもある。
 週に一度なら、もう慣れた達成感で、それほどでもないかもしれないが、毎日ではないので、たまにそういうのが入る方がいい。
 月に一度とか季節に一度とかもあるが、それらも毎年果たせていることなら、平凡なものだろう。ただ、この冬は無理かもしれないと思っていることもある。果たせて当たり前に近いが、今年はできるかだろうかと、心配になる。
 この心配が大きいほど、小さなことでも大きい目の達成感になったりする。
 また、できればいいと思っていることで、特に何もしていなくても、いつの間にか出来ていたとかもある。良い偶然が重なったとか、そういう巡り合わせになっていたのかもしれない。
 何かを仕掛けて、それが上手くいくと、達成感が得られる。別に必要なことではなく、どうでもいいことでも、その人にとり、価値があるのなら、余計なことをしているようでも、そうではない。
 この達成感がいいのだ。色々な意味で。
 下手な薬や健康法よりも効いたりする。何処に効くのかは分からないが、間接的間接的にそこに効くのだろう。
 ただ、その達成感、曲者で、次もまたその気分になりたがる。これは易々とは得られないし、同じことをしても、一回目よりも落ちたりする。やはり初物の方が効果がある。
 ただ、初めてのものは難しい。それだけに低いレベルでも、一寸したことでも満足を得られたりする。本当の達成は、まだまだ先なのだが。
 また、達成し、達成感を味わえなくても、その過程や準備とか下拵えなどをじわじわとやっていることでも、達成感の欠片のようなものが味わえる。
 地味に努力をしているときなどがそうだろう。その先に良いことがあるためだ。だからつまらないこと、面倒臭いことでも、地味にやっていけるのかもしれない。
 またフィニッシュがなく、達成感を味わえなくても、それは欲というもので、過程を楽しめばいいのだ。過程にも地味だが、達成感はある。
 
   了

 




2023年10月25日

 

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