小説 川崎サイト

 

隠し事

 

 隠すから見たくなる、隠していなければ、そのままなので、大したことはない。
 ただ、それが重大なことなら、大きな問題だが、分かっている問題。
 隠しているものは、何が隠されているのかを見たくなる。おそらく、これだろうとは予測は付くが、それでも隠している方が値打ちがある。
 その隠し事のようなもの、隠さなくても良かったりする。なのに隠している。しかし、それが表に出ても、ありきたりのものだったり、話だったりする。
 では何故隠すのか。それなりの事情や意味があるのだろう。そちらの事情も大したことはなく、ただの約束事だったりする。中味はありふれていたり。
 他のところでは隠さないことが普通だったりする。ただ、そこでは隠そうとする。この隠そうとする行為がいいのかもしれない。そこに隠されたものに値打ちがあるように見えたりする。大したことでなくても。
 しかし、隠れて見えなければ、正体は分からない。とんでもないものが隠されているかもしれない。これは開けてみるまでは分からない玉手箱のようなもの。何が入っているのを想像する。
 確定していないので、最初から見えているものよりも興味深い。謎のあるなしだ。
 知らない方が夢があるような気もする。知ると、何だこれかと思うだけ。その後の楽しみがない。
 いつかその隠していたものも明らかになる時期がある。それまでのお楽しみだが、そんな時期はなく、最後まで隠され通しのものもある。
 おそらくこういうものが隠されているのではないかと想像しているときの方がよかったりする。答えは一生知ることができなくても。
 ただ、隠しているものの片鱗が分かることもあり、それで全体を推し量ることもできる。片鱗なので、その物の一部であることは確かなのだが、そのものではない。だが、それで大凡の様子とか、事柄が分かったりする。
 いずれも想像だが、そういうことでじわじわと謎に迫る方が長持ちしそうだ。分かってしまった瞬間、興味が薄れる事柄もある。
 隠してしまうとその現実は分からないのだが、何となく察しがつくものだ。
 
   了


2023年10月28日

 

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