小説 川崎サイト

 

納屋

 

 引田は最近簡単に済まそうと思うことが多くなった。簡単というより簡潔に、できればしなくてもいいように。
 これは邪魔くさいとか面倒とかが先に立つためだろう。それをしなければさらに邪魔くさいことになるのなら別だが、それがかなり先で、可能性としては低い場合、やらない方を選ぶようだ。
 そして引田は最近引っ込み思案で、その名の通り引き気味。控えめではなく、手を引いてしまう。
 当然出不精になり、消極的。それだけ気力も体力も落ちたのだろう。
 これを良いように言うと落ち着いたことになるが、これは落とさないと着地できない。ただ、その地面が最下層かというとそうではなく、もっと下がある。
 そこまで行くと寝ているときの落ち着きと変わらないのだが。
 だが、寝ているときでも悪夢は見るし、喜怒哀楽もある。その夢の最中は決して落ち着いていない。
 その日は小春日和。引田は珍しく散歩に出かけた。普段はそんなことはしない。後で考えると、それは魔が差したような状態。
 引田にとっては積極的な行動。いつもとは違うことをしているので。
 隣近所から少し離れたところまで来たとき「落ち着いたか、落ち着いたか」と声が聞こえてくる。そんな声などするのだから、落ち着いている状態ではないが、素直にその声を引田は聞いている。雀がさえずっているのと同レベルの音として。
 よく考えると、そんな声など聞こえるのは異常現象。驚かないといけない。
 その声、音源には方向があり、右から聞こえてくる。丁度右へ曲がる道があるので、引田はその道に入り込んだ。
 これは意志的なのか、引き込まれたのかは分からない。気がつけば、入っていたのだ。
 しかし、その道、住宅街の生活道路で、よくある通り。どの家も新しいのは、この前まで田んぼだったため。
 そのため、昔からあるのは農具入れの納屋程度。しかしそれ消えているはず。
 そのはずだが、安っぽい一戸建ての建売住宅の並びに、その納屋があるではないか。
 そして「落ち着いたか」という声は、その納屋から出ているようだ。納屋の前を通り過ぎると、後ろから音が聞こえるので。
 納屋がなぜ「落ち着いたか」と言うのだろう。言うわけがない。納屋ではなく、その中に入っているものかもしれない。
 しかし、それ以前に田畑もないのに、納屋だけがあるのはおかしい。それに農家が田んぼを売ったとき、この納屋のあるところだけ売らなかったのか。
 納屋の周囲は塀で、その奥は児童公園になっている。だから納屋のある敷地は細長い。公園に出るための小道なのかもしれないが、納屋が邪魔をしている。納屋の横の余地のようなところをすり抜けないと、公園には出られない。
 引田は、そういうことよりも、音の正体を確かめるため、納屋を開けた。鍵はかかっていない。
 ぐっと横へその戸を引くと、開いた。
 中は農具類が入っているが、どれも錆び付いている。
 そして、大きい目の声で「落ち着いたか」と聞こえる。
 これが引田の見ている夢だとすれば、何を示唆しているのだろう。どういうメッセージだろう。
 引田は、意味が分からないので、納屋から出て戸を閉めた。
 そんな意味よりも、音の出場所が分かっただけでもいいだろう。
 そして、この納屋、翌日行ってみるとなかったりする。
 
   了


2023年11月17日

 

小説 川崎サイト