小説 川崎サイト

 

村供養

 

「この先に渡鍋郷があると聞いたのですか」
「ああ、鍋郷ですか」
「ありますか?」
「ありません」
「やはり」
 この武士、このあたりを担当している。美咲村の向こう側に渡鍋郷があることは絵地図にも画かれている。数か村からなる渡鍋郷。千石はあるだろう。だから担当の武士はそこから年貢を取りたいのだが、ないのだから取りようがない。
 しかし、近くの美咲村の人は渡鍋郷を知っている。だが、美咲村の北側をかなり行ったところにあるのだが、そんな集落はない。
 では、なぜ村のある場所まで知っているのだろう。武士も絵図で知っているし、同僚や上役も知っていた。しかし、実際にはない。
「鍋郷についてですか。さあ、そんな村がこの先にあったと言うことですが、開けた場所などありませんから、田畑も難しいでしょうなあ」
「どうして鍋郷の噂が流れたのでしょうか」
「行った人がいるからですよ」
「会わせてもらえますか」
「この村の人じゃありません。よそから来た人です」
「旅人ですか」
「たまにいるんですよ。山を越えて他国へ出た方が早いといって、山道を行く人もいるのです」
「絵図で知っています。山の麓でしょ」
「そうです。何もありませんよ。そんなところに。でも旅人はそこに村があったと言うのです」
「一人ですか」
「何人かいますよ、その話をする人は。わしらが知っているのは、それらの人たちから聞いたものです」
「どんな村ですか」
「行かれてもありませんよ」
「どんな村ですか」
「ここと変わらないような村です」
「そこで、何かあるのですか」
「な、何かとは」
「様子の違う何かが」
「いえ、よくある村里で、恐ろしい目に遭ったとか、良い思いをしたとかの話は聞いていません。ただ」
「ただ?」
「ここの北にある村を通ってやってきましたとか、その程度です」
「じゃ、やはりあるんじゃないか」
「ありません」
「渡鍋郷というのは、旅人が付けたのですか」
「神社の名が渡鍋神社で、村の名も渡鍋だと旅人から聞いています。わしじゃなく、わしも又聞きですがな」
「最近はどうです。渡鍋の噂は」
「とんと聞きません」
「じゃ、やはりないのでしょうねえ」
「あ、お坊さんが何人かで行ったことがあるようです」
「やはりおかしな村のためですか」
「そうだと思います」
「調べに行ったのですね」
「村供養です」
「はあ?」
「成仏していない村だとか」
「しかし、元々村などそこにはないのでしょ」
「そうなんですがね」
「その後、現れなくなったわけですか」
「ああ、そういうことかもしれませんねえ」
「村供養か。そんなものがあるのだなあ」
「お役人様も行かれますか」
「いや、ないことが分かったので、行かない」
「それがよろしいかと」
「そうだな」
 
   了




 


2023年12月18日

 

小説 川崎サイト