小説 川崎サイト

 

本物偽物

 

 すっかり騙されていた。偽物を掴まされたのだ。岸和田は迎え喜びとなるのだが、そのときの喜びや充実感、満足度は相当なもので、そんなことは多くはない。
 しかし、徐々に疑いを抱くようになる。それは本物だろうかと。そうでないと安心できない。何か雰囲気が違うというか、一寸印象が違う。
 それにそんな本物があること自体が奇跡のようなもので、それが簡単に手に入ったことがまずおかしい。もう少し苦労しないと手に入らないはず。
 しかし、そんなものが実在している可能性が最初からなければ、これも無駄なこと。だから岸和田は探そうとも思っていなかった。どうせないのだからと。これは手がかりのかけらさえないので。
 そして本物かどうかを調べてみたのだが、どちらかと言えば本物と思いたい。しかし、そこは何とか押さえて、具体的な合致点を調べたが、これは曖昧。
 似ていると言われれば似ているが、似たもので、それとは違う別物ならそれなりに存在し、それは見ている。これは違いが分かるので、判定しやすい。
 それに、本物だとは明示されていないので、本物偽物話ではない。
 だが、岸和田が掴まされたのは本物と明示されている。その証拠は何もないのだが。だから偽りの表示なら、これは偽物。
 偽っているかどうかの判定は岸和田に掛かっている。だからよく調べたのだが、分からない。
 本物と思えば本物に見えるが、偽物だと思えば偽物に見える。
 しかし、これまでにもそういうことがあり、本物だと思っていたのが偽物だったこともある。その間、ずっと本物のままで、何ら支障はなかった。それが偽物だと知ったとき、ガタンと落ちた。
 しかし、騙され続けていた方が良かったのではないかと、あとで思う。何の問題もなかったのだから。
 今回はどうか。疑惑が生まれたのは簡単に手に入る虫のいい話だったためもある。
 ただ、簡単だが、そんなものがあることを知らなかったので、探していなかっただけ。
 また、疑いの目で見ると、偽物臭いところが少しある。しかし、それぐらいの変化はあるだろう。
 さらに分かっている情報から推測することで辻褄が合うかどうかを調べた。これはギリギリだが合っている。その範囲内だ。
 そういうものはなくてもかまわないのだが、あればかなり凄いものを手に入れたことになる。そちらの方がいいに決まっているのだが、本物だとはまだ岸和田は納得していない。
 しかし、そのものは他に影響を与えたりするわけではなく、岸和田の中での問題。岸和田だけに関係する話。
 以前、偽物を本物だと頭から思い、偽物だという疑惑もなかったことがある。ただただ満足感を得ただけ。今も別のことで真っ赤な偽物を掴み続けているかもしれない。それで何の支障もなく、機能し続けているのもあるだろう。
 嘘はばれると言うが、岸和田が気付かなければばれない。そして多くの嘘がまかり通っているのかもしれない。本物はこれだと言われても、逆に偽物扱いにしそうだ。
 本物とは何だろう。
 
   了

 


2023年12月28日

 

小説 川崎サイト