小説 川崎サイト

 

住めば都

 

 田中はもう駄目かと思っていたものが復活した。これは喜ばしいことだが、逆に困ったことになる。
 それはもう駄目なので、諦め掛け、違うやり方を考え、それを実行中だった。
 目的としていたものとは少し違うが、似たようなもの。ただ目的にかなり近く、これが代用品のようになり、日常化していた。
 流儀があるとすれば、それを変えたのだろう。これは成り行きでそうなるしかないので、不満だが、それを実行し続けた。
 そのうち慣れてきたのか、それがいつものやり方に近くなってきた。要するにスタンダード。
 しかし、その方法でもかなり奥までは行く。もう駄目になってそこから先へ進めないが、その手前でも何とかなった。
 しかし、あと一歩で本来の目的を果たせる位置にある。かなり詰め寄っているのだ。以前もそこで止まってしまったことがあるので、目的以前で終わることはよくある。
 しかし最近はそればかりなので、その手前までの過程が目的化していた。それは過程で途中であり目的地ではないのだが。
 しかし、ある日、その道が通った。いつも遮断されていたのが開いたようなもの。これで本来の目的が果たせたので喜んだのだが、果たしてこれは復活だろうか。凄い偶然の重なりで。たまたまだったのではないのか。
 田中はそれで少し考えてみた。目的を果たせなくても何とかやって行ける方法を見つけ、それで何とかなっていたのだ。目的地の手前までなら行ける。それなら簡単。
 だから最近は楽だった。目的を果たす最終段階での苦しさがない。そして道中も気楽。目的を果たそうと言う欲がないため、広がりができた。
 しかし、復活したのだ。諦めていたのに。
 だが、何処かでわずかながらも望みがあったのは確か。あと一歩のところまで行けたのだから、あと一押し。
 しかし、そういう努力がしんどくなってきたので、楽な方へ流れた。そして田中はそれでもいいと納得し掛かっていた。本当は果たした方がいい。しかし無理なら仕方がない。それだけの話だ。
 復活し、目的を果たせるようになると、これはしんどくなる。たまたま果たせただけだった場合、次回も偶然に左右される。これは無理だった場合不快になる。残念さ無念さがお土産になる。
 それでせっかく復活し、道が通ったのだが、素直に喜べない。しかし、狙っていなかったのに道が開けた。ここだろうと田中は考えた。
 果たせようが果たせまいが、それにこだわる必要はないのではないかと。
 目的が果たせないことで、新たに作ったスタイルのようなもの。これは副産物だ。これは目的を果たすことを狙っていない。だから気楽。
 たとえば行けなくなった喫茶店。代わりの店へ行くようになり、あまり良くないが、そのうち、以前の喫茶店よりもよく思えるようになることがある。住めば都。
 
   了

 


2023年12月30日

 

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