小説 川崎サイト

 

五谷の小岩

 

 正月そうそう乙夜の小岩というのがとある町家に訪ねてきた。
 正三は一人で寝ていた。主人だ。表戸を叩かれ、正三は叩き起こされたようなもの。
 まだ日の昇る前の元旦。この時間、普段と同じように正三は寝ていた。
 どなた様かと聞いたとき、四谷のお岩だと聞こえた。しかし、それは空耳で、そういう知っている名に吸収されたのだろう。
 四谷ではなく、五谷の小岩。妹かもしれない。しかし、小岩は合っているが、五谷ではなく、乙夜と書くらしい。
 戸を開け、土間に入れたが、顔とか姿を見られたくないのか、隅の方へ行ってしまった。丁度台所の方へ。
 どうかしましたか、とか、どういうことですか、と疑問はあるが、白っぽい着物で、寒いのに、一重。年の頃も分からない。顔は白っぽかったが、ずっと俯き加減なので、よく分からないが、唇が赤い。そこだけ化粧しているとは思えない。
 台所に入ってしまった乙夜の小岩。何の用かと正三は聞きたくなる。当然だろう。別に危害はないが、妙すぎる。
 乙夜の小岩は台所、これは炊事場で竈などのある土間。その陰に隠れてしまった。
 正三はどなた様ですか。また何のご用ですかと炊事場の入り口から尋ねる。
 乙夜の小岩は、このままにしておいてください。すぐに出ますから。
 何が出るのだ。ややこしいのは既に出ている。だから消え失せるという意味と正三は解釈した。
 しかし、あとで家族や店のものに説明するとき、夜中に女人を引き入れたと分かるとまずいので、正体を明かしてくれと、しつこく聞いた。
 すると世間では正月様と呼ばれているらしい。
 正三は農家出なので、竈にそういうのを供える習わしは知っていた。
 ああ、正月様か。初めて見たと、正三は感心した。その感心。何かよく分からない理解の仕方が、ああそうかと合点がいったような感じ。
 正月様とは年神様のようなもので、年をその家にもたらせると正三は聞き及んでいた。いい風に取っているのだ。貧乏神を招き入れるよりも随分とまし。
 しかし正月様を迎える準備、お供え物とかはしていなかった。ここは住む家ではなく、店舗、店屋なので。
 正三はそれを詫びた。せっかく来てもらったのにと。
 すると乙夜の小岩は、それはあってもなくてもいいことですと慰めてくれた。
 あまり会話を好まない神様のようなので、最後に一つだけ、聞くことにした。
 どうして乙夜の小岩なのですかと。四谷のお岩様と関係しますかと。
 乙夜の小石は関係しないし、また乙夜も小岩という名も何でもいいのですよと答えてくれた。
 正月様は私のご先祖様と関係しますか、さらに聞いてしまった。
 乙夜の小岩は薄暗い竈の陰で長く黙っていた。
 正三が目をこらして見ると、徐々に小岩は消えていった。
 これは何だったのかと不思議に思ったが、意外とすんなりと受け取っていた。
 そして寝床に戻ると、布団の中で誰かが寝ていた。
 
   了


 


2023年12月31日

 

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