小説 川崎サイト

 

年越し

 


 年末、年越しだが、山田の用事も年越しする。年をまたいでの用事になるのだが、もう何年もそれをやる手前にいる。
 だから用事の年越しは見慣れたもので、毎年のこと。これは年中行事になっているほどなので、それほど急がなくてもいい用事。
 しかし、今年こそ年内に片付けたいとは思っている。ただ、それは元旦だけで、その後の春や夏になると、すっかり忘れている。お盆の頃、気付くが、まだ年は残っているので、大丈夫だと安心する。
 そして暮れが近づいたとき、やっと思い出し、そろそろやるべきだろうとなるのだが、このべきだろうというのがどうも気に入らない。
 山田は自分自身に対して命じているのだ。しなければいけないと。そしてそれを決めたのは山田だが、できれば取り消して欲しいところ。
 全く消すのではなく、今でなくてもいいだろう。今年でなくてもいいだろうと。ここで話し合いが行われるわけではない。どうせ、その件はそういう扱いになるのは暗に分かっている。
 しかし、今年もできなかったかと、少しは後悔する。その用件に手を付けると数日かかるわけではない。丸一日専念すればできること。
 しかし、それで一日を潰すのはどうなのかと考える。他のこともいろいろあるので、それらを休まないといけない。
 ではいつするのか、となる。今すぐやればばそれで済むことだが、それができるのならとっくの昔にやっている。
 また、それをしなくても特に支障はない。できればやっていた方がいいというレベル。これは弱い。すぐにでもやらないといけない緊急ごとならやるだろう。
 そしていつやるかはその気になったとき。やるべきではなく、すんなりとやれるようになるまで待つ。
 これは自然に湧き上がらないと無理。しかしここ数年、そんな湧き上がりはない。別のことならいろいろと沸いているのだが。
 だから、その案件。そんな扱いのまま、今年も駄目で、来年も駄目だろう。そして、予定から外し、しなくてもいいことにまで落とすと、意外とやってみようかという気になるのかもしれない。
 または他のことをやっていて、それにつられてやるようになるとか。
 こういうことを考える暇があるのなら、それを思いながら、それをやればいいのだ。ただ、その考え、丸一日中考えているわけではないので、それは無理。
 この場合、何か褒美がもらえるとかの人参が必要だろう。
 
   了


 


2024年1月1日

 

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