小説 川崎サイト

 

大晦日占い

 

 大晦日の日に何かが起こる。それは大晦日らしい一年の最後にふさわしいこと。ふさわしいのだから、良いことかもしれない。
 高田は今年は何が起こるのかと待機していた。これは高田考えるところの大晦日占い。これで来年のことを占う。今年のことはもう数時間しかないので、あまり役に立たない。その時間帯は去年の大晦日占いで結果は出ている。何もないと。
 つまり去年の大晦日占いでは大晦日の日に特に何かがあるとは出ていなかった。一年の占いなので、大晦日などピンスポット。それにその占い、漠然としており、そんな精度はない。
 ただ因果というのがあり、今年あったことが因になり、来年それが出るらしい。数年越しで出るのではなく、翌年の大晦日までの間に。
 それで高田は今年あったことなどを考えたのだが、特にない。そういうことで分かるのなら、占う必要はない。分からないので、占う。
 その占い、道具は必要ではない。またマニュアルもない。大晦日の日に現れる何かがネタでありタネ。普段起こりそうな一寸した気になることに近いが、大晦日に限られている。同じネタでも三十日では駄目で、三十一日でないと。
 これは大晦日の朝、起きてから寝るまでの間のことで、三十日の寝る時間が遅かった場合も三十一日になってしまうが、それは無視。
 これは徹夜に近い状態で、朝まで起きていても、それは三十一日だとは認めない。三十日の延長で、一度寝ないと、三十一日にはならないという決め事。
 まあ、大晦日とおおよそ言っている時間帯でもかまわないのだが、できれば三十一日の夜に起こるネタが好ましい。ただ、零時を過ぎると新年なので、そのあたりになるとややこしくなる。大晦日に起こったことではなく新年に起こったことになる。
 この問題は高田は解決している。三十日の遅い時間帯の例と同じで、三十一日を過ぎてもまだ寝ていないのなら大晦日とすると言うことだ。だから、ややこしくなるので、できれば除夜の鐘が鳴るまでに起こる方が良い。三十二日を作らなくてもいい。
 しかし、これと言ったことがない場合が多い。事件性のあることなどだ。
 急須に入れる茶葉が多すぎて苦かったとか、濃かった程度のことしか起こっていない場合でも、それが目立つなら、それが大晦日占いのキーワードとなる。起こっていることは普段よくあることでも、それを高田が気にするかどうか。
 高田の受け取り方、感覚の問題だけになる。これと言った出来事、何らかの象徴的な出来事でもなければ、そういった小物を扱うしかない。
 大晦日の忙しいときに、面倒なことが起こったのなら、それがキーワードになるが、高田がそれではないと思えば、キーワードにはならない。むしろ平凡な一寸した茶葉程度のレベルでも、ピンとくることがある。ああ、これかと。
 では茶葉がどうしたのか、茶葉がどんな予言をしてくれたのだろう。これはこじつけに至る病のようなもので茶葉ではなく茶番劇かもしれない。
 多い目に入れてしまったお茶の葉。ティーパックで量が一定のものに変えるのが良いという神託かもしれない。
 お茶に相当するもの、それを思い巡らせばいい。もうお茶とはかけ離れてしまうが、あとは連想ゲーム。そしてその連想のどかに、来年の方針のようなものが隠されている。占いだが、そこまで教えてくれるわけではない。
 しかし、大晦日占いの導きで、高田の翌年の方針のような傾向のようなものが分かったりする。一寸したさじ加減程度だが。
 これは今年の一文字漢字とか、今年の一言に近いが、それは終わったことで、先のことではない。
 さて、高田はこの大晦日、そのネタを待ったのだが、何もなかったし、思いつかなかった。それで何もないというのをキーワードとし、新年を迎えることにした。
 
   了



 


2024年1月3日

 

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