小説 川崎サイト

 

平常

 

 気にならなければそれが平常で、これが一番いいが、いいとも感じない。ただその平常、本来の状態ではないのかもしれない。
 本来が何処にあるのかは分からないが、そんな場所などは最初からないのだろう。しかし、平常と言っても、これは変化していくので、慣れ親しんでしまったもの。悪くても良くても。
 何から悪くなり、良くなったのかは本来が曖昧なので、比べようがないが、何となく元の感じを感知している節もある。それは感じで、具体性はない。
 これを主観と言うが、その中にはいろいろなものが含まれており、そのいろいろの具体性はないが、それが隠し味のように醸し出してくる。
 こう言うのも含めて感じとか言っているが、感じ以上のものがある。
 どちらにしても曖昧で、つかみ所がなく、煮ても焼いても食えぬ食材のようなもの。
 この感じの中にはいろいろものが含まれているが、勘違いもその一つ。だから勘は当たらないし、センサーとしては信頼性がないのだが、なぜそう勘違いしたのかが問題かもしれない。勘違いを起こすものがあり、それで違えてしまったのだろう。
 本来のものがあるとすれば、勘違いの犯人が知っていることになる。
 間違った直感、どう見ても錯覚で、勘違いも甚だしいが、不思議と本人はそれで腑に落ちる場合もある。また本人も間違いだとは気付いている。しかし妙に説得力があり、うんそうだと納得する場合がある。いろいろと理屈で考えたときよりも。
 これは裏の回路のようなもので、表では使えない。なぜなら誰が見ても勘違いのため。本人もそれは知っている。だからこの回路は人には言えないただの感覚で、そう感じたとしか言いようがないため。
 これは弱い。会議に乗せられない。話し合いの場に足を乗せられない。
 こう言うのを直感というのだろうか。説明がない、直接感じているので。
 ただ、その直感、間違いが多い。だから使うのは危険だが、そう間違うところの何かがあるのだろう。そこと繋がっている。
 だから、これは自分だけの世界内での話なので、そういう感じがするとか、そういう気がする程度。
 これは隠れたる真実があるわけではなく、ただの感覚の問題。体感と言ってもいい。体も反応するがどちらが先かは分からない。
 そういうことが普通に起こっているのだが、気がついているパターンとそうではないパターンがあるようだ。
 それが気にならなければ平常というやつ。ただ、気にしようと思えばできるので、ずっと分からないままと言うことはない。
 当然意識的になれば分かることなので、見えないものが奥にあるわけではない。
 ちなみに一番の最深部は何もなかったりしそうだ。
 
   了



 


2024年1月5日

 

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