小説 川崎サイト

 

風の音を聞く

 

 風穴があり、その奥に祭壇。風の神が祭られているようだが、祭り方も口伝だけ残る程度。もうそんな神様など必要ではないのだろう。
 風穴は絶壁にあり、そこへ上る階段のようなものもあるが、ただの足場だ。だから登る気にならないほど危なっかしいところ。そこに風穴があるので祭っているだけで、そこに作ったものではない。自然にできた穴なので。
 とある藩主が風の神に興味を抱いた。それは何代か前の藩主が書いた日記に出てくるのだ。そういう風穴があり、それが効くと。
 これはまさに穴。穴場の穴。知られていない神様で、誰も拝んでいないため。だから効くのではないかと。
 それで藩主が調べさせたところ、その風穴での儀式を仕切っていた家が三家あり、風穴三家と呼ばれていたらしい。かなり昔の話だ。
 その風穴三家は時代と共に一家に減るが、その一家から七家が出た。多い。
 風穴を世話する家としてはこれが一番多かったのだろう。謂わば全盛期。
 その七家から二家に減り、風穴二人衆と言われた。
 そして藩主の代になると一家だけ残った。その一家が祭り方を知っているはず。
 既には祭壇は廃壇になっているが石の台は残っており、壁には風の神が刻まれている。だから儀式さえ分かればすぐにでもできる。できるといっても何をしてもらうのかだが、当然願い事だ。この風穴の風の神様の力で。
 ありふれた神ではない。風神とは違う。ここだけにいる神様で、拝む人もいなくなったので、暇なはず。だから効くと藩主は睨んだ。
 最後の一家も父親から聞いた程度の祭り方しか知らない。実際に祭司となってやったわけではない。父親もそうだ。残った一家で実際に風の神と通じ合ったのはお爺さんの代まで。
 だが、聞いただけでも祭り方は知っており、願い事をすることができるはず。藩主はその若い百姓に祭司を頼む。神社で言えば神主のようなもの。
 若い百姓はお爺さんが言っていたお供え物や飾り付けを揃えてもらう。藩がそれを負担したが、大して金は掛からず、麓の村に何処にでもあるような品ばかりだった。
 若い百姓はお爺さんが着ていた儀式用の着物を着ようとしていたが、それはかなり古いもので、ボロボロだったので、似たようなのを作ってくれと頼む。それはすぐに仕立てられ、揃うものが揃った。
 若い百姓は祝詞など暗記していない。お爺さんが発音のままを言葉で残している。
 そして、いよいよ藩主も危ない崖をよじ登り、風穴に入り、儀式が執り行われた。
 藩主は別に願い事などなかった。ただ、風穴三人衆とか、風の神に興味があっただけ。
 そして儀式が執り行われた。若い百姓が祝詞を紙を見ながら唱え出すと風穴内に風が起こった。
 効いたことのない言葉や節回し、音律。唱え方など教えてもらっていないが、読めばそういう節回しに自然となる。
 藩主は、これは本物だと背筋を伸ばした。ただならぬ空気が流れている。それが震えている。
 願い事よりも、それに藩主は圧倒された。
 若い百姓は祝詞を唱え終わると、元に戻ったが、わずかにまだ余韻が残っている。
 どういうことかと藩主は若い百姓に尋ねた。
 これもお爺さんが言っていたことをお父さんが聞き、それをこの人が聞いた又聞き、一応口伝だが、ここは風穴だけに、風の音が聞こえるだけのこと。そして祝詞でより大きくなるのだと。
 藩主はそれで納得した。そして目的を果たした。
 願い事を適当に用意していたのだが、それどころではなかったようだ。
 
   了



2024年1月8日

 

小説 川崎サイト