小説 川崎サイト

 

それは気の精

 

 これは期待できると思いながらも避けていたものがある。その期待で疲れるわけではないが、もし違っていたときのショックがある。
 期待は予測。おそらくそうだろうと以前に思っていたようなことで、今とは期待のあり方が違うかもしれない。
 だから今の期待とは一寸違う。だから外れても仕方がない。ずれがあるため。しかし大枠は合っている。ある範囲内にあるだろう。
 そして竹中が期待しているのに避けようと思っているのは、普通のものと違うため。だから楽さが違う。期待しているのだからより楽しいわけではない。向かい方が苦しいから楽かの違い。
 期待しているものほど苦しいのはそのため。これは竹中がプレッシャーに弱いためもある。
 その期待しているもの。一応その機会があれば実行するようにはしている。そして、そのタイミングが来た。
 しかし、時期はいいのだが、今は一寸まずい。今これをやるタイミングではない。タイミングにもいろいろとある。タイミングとしては今日だが、今日のその時間帯では不都合。
 それで竹中は今はできないと思い、キャンセルした。これはできる。やめることは。
 しかし、やはり避けたいというのがあったのだろう。サッとやめている。できればずっと実行したくないように。
 しかし、いつかはそれを実行したい。今回は惜しくもできなかったが。
 だが、その後、またそれが来た。二回目だ。これは続くことがおかしい。誰かが、これをせよと導いているようなもの。何が来るのかは偶然で決まるので、竹中には選べない。勝手に来る。しかしやめることはできる。
 続けて来たので、これは「やれ」と誰かが命じているのだろう。その誰かとは竹中自身なのだが、それで実行することにした。
 すると期待以上のものだった。これには驚きすぎて唖然としたほど。やはり自分の予感は当たっていたのだ。
 かなり以前に期待していただけに、今はそう感じるかどうかが疑問だったが、その期待、生きていた。しかもよりよく。
 それよりも長く実行しなかった難物を果たした喜びも大きい。期待しているのにそれを避けようとする竹中にとっての話だが、その一つをクリアーした充実感や満足感。
 その実行したものよりも、竹中に対する満足感だろう。そして誰かが命じたのではないかというその誰かとも関係するのかもしれない。誰だか知らないし、それは出てこないが、何となくそう感じるところの感じでしかないが。
 これは直感のようなものかもしれない。
 しかし、誰も竹中を導いたりはしないし、竹中がやりやすいように設定してくれているわけではない。そんなものが竹中の中にいたら怖いだろう。割れているので。
 しかし、たまにそういうよくできた話がある。これも後で考えると出来レースに見えるが、それほど神秘的なことではなく、ただの気のせいだろう。
 これを気の精と言ってしまうと、ややこしくなるし、それを意識してもいいが、それはお伽噺。
 だが世の中、全てがお伽話かもしれない。
 
   了


 


2024年1月17日

 

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