小説 川崎サイト

 

初物食い

 

 新鮮なもの、一寸違うものが見たい。中身は同じでも新しいものが見たい、見たことがないものを見たい。
 それは以前から見ているものでも、大枠は同じでも新たなものは初めて見るので、この初めてというのが良い。ここが違う。
 それもいずれは見慣れたものになるはずなのだが、また新たなものが出てくることで、そちらに興味が行くはず。そのパターンの繰り返しのように思われる。
 だから初めてのものというのはポイントが高い。従来のものとは違った趣があるためだろう。
 こう言うのを初物食いというのだろうが、初物だけでも値打ちがあり、食べたい気になる。食べてみるとそれほど良いものではない場合でも、少しは新鮮さを味わえる。旬のものなので。
 その旬とは今と言うことだが、このリアルタイム性がいい。昔のものを見直すよりも、現代進行形で、その先はまだ分かっていないし、決まっていないため。
 それに価値があるのかどうかは、終わってからの話で、その時点ではまだ決まっていない。
 ただ、その時点でも、これは凄いかもしれないと思えるものがある。
 全ての新しいものが良いわけではなく、頭二つ以上出ているようなはっきりとした違い。登場してきたときから分かるような。
 ただ、最初は平凡だったりしても、そのあと、本性を発揮するような進み方をする場合もある。これは化けると言っている。あるところで急激に。
 新たなものに期待するのは従来のものが駄目なわけではない。これは従来の良いものを引き継ぐ後継者のような存在なので、途切れないようにするためにも新たなものが次々と出てきてもいい。ただ生き残るのはわずかだが。
 それは外に対してではなく、自分自身に関してもそうだろう。対象が退屈なのではなく、自分が退屈なのだ。新鮮さもそうだ。
 また新たなものに注目するのも、自身の中にもそれがあるためかもしれない。だからその人の変化で見いだし方や受け取り方が違う。つまり思い当たるところがあるため、外の何かを注目する。
 しかし、普段はそんなことなど考えてはいない。自分を反映したり投影しているという感じではないだろう。実際はそうであっとするならば、面白味のないことになる。
 単に飽きたので、目先を変えたい程度なら、そんな洞察は邪魔かもしれない。
 
   了

 


2024年1月21日

 

小説 川崎サイト