小説 川崎サイト

 

八百屋と感情

 

 違ったものが見たい。違った感じ方をしたい。竹田はよく考えてみるとそういうことだったのかと気付く。
 これまでいろいろと研究テーマを変え続け、室長から呆れられたこともあるが、それ以上の指導はなかった。だから安心して変えていたのだが、実は不安。コロコロと目先を変えるのはよくないことだと。
 しかし別のものが見たい。これまでのことはこれまでのこととしてそれも良いのだが、どうも気移りする。これは悪癖だと考えていたが、そうではなく、そういう風にできているのだと、何となく思うようになる。
 気分を変えたときの方が新鮮で、はつらつとしている。当然のことだが、これが良いのだろう。
 これは一つの研究とは矛盾する。何でも売っている八百屋になってしまう。しかし専門店よりもいろいろなものが扱えるので楽しいはず。今まで扱ったことのない品や、また八百屋らしくないような服とかも売っていたりとか。割烹着ではなく。
 これは八百屋と言うよりも万屋、そして今はコンビニや百均だろう。近所の専門店ができても関係のないものなら関係しないが、コンビニならそれなりに役立つので、立ち寄る。
 しかし研究は八百屋でもコンビニでもない。
 トランプで同じ数字を集めるゲームがある。絵柄違いで。それで勝負のとき、揃っている数字のカードが一枚もない。全部バラバラ。これを八百屋と呼んでいた。
「八百屋の研究ですかな竹田君」
「違います」
「八百屋史というのは研究テーマになりますよ。次はそれをやってみますか」
「いえ、今は感情論をやっていますので」
「飽きてきたのでしょ」
「いえ、頑張っています」
「頑張るのはよくない。楽しくないでしょ」
「でも八百屋の研究をする気はありません」
「じゃ、感情論を続けますか」
「これは奥が深いですし、幅も広いです。一寸僕には難しすぎました」
「やはり、やめたいのですね」
「すすめないでください。頑張っているのですから」
「それは失礼。今回はなかなかケツを割りませんなあ。珍しい」
「感情の研究をしていると、それもまた感情の問題と分かってきました」
「尻を割りたいという感情ですか」
「その感情、押さえています」
「何で」
「感情で」
「ほう、その解釈、良いじゃないですか。続けなさい」
「我慢してやります」
「ほう、それも感情ですか」
「はい。感情です」
「何でもかんでも感情で勘定しては駄目ですよ、竹田君」
「あ、はい」
 
   了


 


2024年1月30日

 

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