小説 川崎サイト

 

ある着地

 

 こんなところに着地点があったのかと思うことがある。
 そこではないはずなのだが、そこなのだ。いずれにしても着地できたのだから、そこが着地点。それが意外なところで、着地予定地ではなかった。
 しかし予定地でも着地できるかどうかは分からない。今回高橋は着地できたのだから、それは正解だった。ただ、これは着地してからそう思っただけで、所謂既成事実。これは大きい。動かぬ証拠であり、事実なのだから。
 こんなところで着地できるのかと考えると、これまで考えていた着地予定地も一考の必要がある。中には着地できないようなものも含まれているが、着地できる可能性が高く、また高橋はそこに着地してみたいと思っているので、かなり下駄を履かせている。
 だから、もし着地できなければ残念なことになるが、こればかりはやってみないと分からない。そして、着地予定地から外すこともあった。だから予定地はそれなりに変わっているが、それに近いものならやりがいもあるし、またやってみたい。
 ただ、圏外になったものもある。かなり以前に予定していた着地点だ。
 今回候補になかったところで着地できたので、高橋は一寸驚いた。そういうこともあるのだなと言う程度だが。
 着地する。これは地に足が付くことだ。予想は宙に浮いたままだが、着地すれば事実になる。これは動かしがたい。
 ただ、宙に浮いたままの方が楽しいこともある。また、まだ足が着いていないので、想像する楽しみがある。
 そして実際に着地してしまうと、そこで終わってしまう。だから着地で現実化しない方がよかったりする。
 ただ、現実化させるために着地するのだから、想像で終わるだけでは駄目。現実にはならないので。
 怖いの現実だろう。着地という現実。ここは何が起こるか分からない。軟着陸もあり、これは手間がかかるし面倒な着地になる。着地できたのはいいが、できなかった可能性の方が高かったりすると、これはヒヤヒヤもの。
 できればすんなりと着地でき、その達成感に浸りたいもの。それをしたいばかりに着地させるのだから。
 ただ、今回高橋が体験したのは、着地など考えていなかったものだ。着地候補にも挙がっていない。
 いろいろと計画を巡らせても、なかなか上手くいかないこともあれば、何の手間もなく、サッと着地できるものもある。
 高橋はそれで、こういうタイプでの着地もあることを学んだ。これは仕掛けられないものだが。
 
   了

 


2024年2月4日

 

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