小説 川崎サイト

 

郷主

 

「斐伊郷が見えておられますが、いかがいたしましょう」
「いつもの挨拶だろ」
「はい」
「会うに決まっておる。謁見の間に通しておけ」
「武者を隠していますが」
「いつもおる。それがどうしたのじゃ」
「斐伊郷の斐伊殿は一人です」
「お供もいるだろ」
「御殿前です」
「下僕なら仕方あるまい」
「いかがなされます」
「いつも通りの挨拶できたのだろう。用意しておるのがあるはず、それを出してきなさい」
「下僕から荷も受け取っております」
「何だった」
「毛皮です」
「毎度のことじゃ。一寸違うものを貢げばいいのにな」
「いかがいたします。お一人です。武者隠しに伝えますか」
「そんな必要は何処にある」
「いい機会です」
「それは難しい。斐伊郷との仲は悪くはない。斐伊殿の婚礼の時も、わしも出ておる」
「お取りになりませんか」
「大きな声で」
「今ならできます」
「それはできん」
「では、家臣に」
「斐伊殿は断るだろう」
「では従属に」
「今がそんな状態だろ。家臣と同じ」
「しかし斐伊郷は肥えた土地。山も豊か」
「無理だな」
「先代もそう言われていましたが」
「治められん」
「斐伊一族を滅ぼせば」
「手強い。そうしてまで取るような土地ではない。白根郷を見よ。先代が吸収した。しかし、その恨みが残り、白根郷は荒れておる。年貢を取るにも苦労する。そして何時寝返るか分からん」
「分かりました」
「斐伊殿を待たせては悪い。すぐに行く」
「武者隠しは」
「まさか斐伊殿が狼藉を働くまい」
「では、そのままで」
「しかし」
「はい」
「恐ろしいことを考えるでない」
「殿にその気があれば、いつでもやれます」
「気は変わらぬ。面倒になるのでな」
「はい、かしこまりました」
「斐伊殿に馳走を」
「はい、用意させております」
「うむ、それでいい、それで」
「ぎょい」
 
   了



 


2024年2月11日

 

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