小説 川崎サイト

 

落ち着く

 

 何となく落ち着ける場のようなものがある。
 それがどのタイミングかは分からないが、固定していることもある。あれをやっている時は落ち着くと。
 それは固定しているのだが、タイミングが悪いと落ち着けない。だから落ち着ける場もそれほど確実なものではないのだが、こんな所で落ち着けるものかと思うのだが意外と落ち着いた気持ちになることがある。
 台風の目の中に入った時のような静けさ。しかし、決していい天気ではない。さっきまで嵐で、台風が真上を行けば、また嵐が戻るだろう。台風の吹き返しで。
 ホッとした瞬間、落ち着いた気持ちになる。それまで落ち着きを失っていたのが戻ってきた感じ。落ち着きを取り戻したと言うことだが、その戻り先、果たして何処だろう。
 我を忘れてとか、自分を忘れとかもある。そしてやっと自分らしさが戻ってきた。いつもの自分に戻れたと言うことだが、このいつもの自分とは何だろう。はいここですよという自分の家の表札があるわけではない。
 その戻ってきた自分。どこから何処へ行き、何処へ戻ってきたのか。我に返るというのがあるのだから、やはりあるのだろう。そういう場というか、普段通り、いつも通りの自分と言うことだが、普段からそれほど落ち着いていなかったりする。
 ただ、これも一瞬だが、落ち着いた気分になっていることがある。これは結構快い状態だろうが、常にそんな状態ではいられないので、ほんのわずかな瞬間だろう。
 あとはそれに近い状態程度で、落ち着くのはいいのだが、退屈してくる。無刺激では。
 落ち着いていない時よりも落ち着いている程度。これがリアルなところかもしれない。
 落ち着いてゆったりとしている時も、以前のことを考えたり、このあとのことを考えたりする。無念無想というわけにはいかない。
 意外と静かにしているよりも、何かをしている時の方が落ち着けたりする。
 やっていることは単純なことで、目先はそこにある。散歩なら足を動かし、歩いておれば目的は達成される。ただ、目は適当なものを見ていていい。また何かを思い巡らせてもいい。結構ざわつき、目もキョロキョロしているが、歩いているという目的は達成中。だからあとは付録。
 それならあまり落ち着いていないが、気持ちはフリースタイルで、特に考えることはないのなら、逍遙。
 一寸した自由さがある。だからゆとりがある。落ち着いた状態というのは、そういうニュートラルな状態かもしれないが、こう言うのはいくらでもやってくるのだが、来ない時もある。
 ここは放置していていいのだろう。無理に落ち着かなくても。
 これが落ちだったりする。
 
   了


2024年2月13日

 

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