小説 川崎サイト

 

悟舎

 

 深山で悟った僧が、下界で舎を開いた。これは悟るための施設で、寺ではない。そのため、僧は僧職を捨てた。
 その前から妙な動きをしており、寺の勤めを忘れて、深山にこもってしまったのだ。さすがにこれは暮らしにくい。そのための苦行。
 しかし、少しでも楽にやるため、山裾にある寺に寄宿していた。だから通いの修行僧のようなもの。深山と言っているが、里から近いのだ。
 その寺には、その僧は属していないし、宗派も違う。しかし舎はその寺の寺領に建てられた。
 寺の協力があったので、これは幸いだった。悟った人がそこにいるだけでもいいのだろう。我が寺領にいると。
 その僧、悟っただけに無心。何の企みもない。欲もないが、そのままでは危ないので、舎で悟りを教える仕事を始めた。
 できれば多くの弟子がいる方がいいので、舎も大きく、また設備もいい。その設計にも僧は立ち合い、いろいろと知恵を出した。また、一人ではできないので、手伝いの者も雇った。そのため、いい人に手伝ってもらいたいので、面談もした。
 さらに無料というわけにはいかない。それでは運営できない。備品もいるし消耗品もいる。そこは寺に詳しい人がいるので、手伝ってもらう。
 そうしてすがすがしい風貌で山から下りてきたのだが、どんどん俗に染まってしまった。
 また山にこもっていたときはなかなか食べられなかった生魚、つまり刺身や、おいしいものを食べるようになる。これは修行中、雑念として食べたくて食べたくて仕方がなかったもの。それらが一気に爆発した。
 その僧、本当に悟ったのだろうか。これは事実らしい。無念無想。それでは死んでしまう。寺から通っていたとは言え、最終段階に入ったときは山にこもりっきりで食事もしていない。
 これは危ないと僧は感じたのだから、本当はまだ悟っていなかったのだろう。
 そして山ごもりする前よりも、その僧、俗っぽくなり、世間慣れし、和気藹々と舎を運営している。
 この僧の教えは、一瞬の悟りで、ずっとの悟りではない。だから安心して悟ってもいいとか。
 
   了
 


2024年2月21日

 

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