小説 川崎サイト

 

雑念

 

「己を見ておる己がおる」
「私を見ている私ですか。それは誰ですか」
「本人じゃ」
「それはたまにあります、今、妙なことを考えていたなあと言うのを引いて見ている私がいますが、さらにそんなことを思っている私がさらに外側に。それが本当の私だと思っていても、そう思っている私がもう一枠向こうにいます。さらにその向こうにも。これは誰ですか」
「己じゃ」
「じゃ、全部私なのですね」
「そうじゃ」
「では私の外側はないのですか」
「だから、幾重にもあるので、ありすぎる程じゃ」
「それは最初の私を見ている私よりも凄いものですか。後ろへ行くほど」
「いや、同じじゃ」
「それは己を知ることに繋がり、修行になりますか」
「ならん」
「ならないんですか」
「ただの遊びじゃ。戯れよ」
「無限に同じことを繰り返しているようなものですか。回数が増えるだけで」
「その方法、気がおかしくなるので、やめておきなさい」
「でも、どうしてそれを私に教えるのですか」
「教えられなくても、やっておるじゃろ」
「はい、そんなに何重にも引きませんが」
「それで別に己がどんどん遠ざかるわけではない。最初の一度で十分」
「あ、今変なことを考えていたというのに気付くだけでいいのですね」
「しかし、その変なこととかを考えていたのは誰じゃろう」
「私です」
「しかし、勝手に思い浮かんだのではないか」
「そういうときもありますが、私が勝手に想像した方が多いです」
「それを雑念と言うが、まあ、人は雑念の塊。それでよろしい」
「ここへは修行のために来たのですから」
「だから何じゃ」
「もっと私が高まるような」
「では雑念を捨てろとでも聞きたいのかな」
「はい」
「それは雑念の凄さを知らぬからじゃ。そのおかげで生きていられる。修行も雑念からじゃ。修行なども雑念そのものじゃしな」
「それを聞いて安心しましたが、そんなことでよろしいのでしょうか」
「修行も雑念の中の一つ。雑念の規模はもっと大きく広い」
「雑多な思いがあるわけですね。それで、ここでは私はどんな修行をすればいいのでしょ」
「思う存分雑念を沸かし散らすのじゃ」
「こっ、こわー」
 
   了



2024年2月27日

 

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