小説 川崎サイト

 

うろつき夜太

 

 よいものはすぐそこに簡単に見つかるところにあることもあるが、うろうろしていて、そのついでに見つかることがある。それを探しに行っているわけではなく、別件で。
 よいもの、好いもの、善いもの、都合の良いもの、欲しかったものなど、タイプは違うが、普段から気になっていることだろう。
 そうでないと、ついでに見つからない。それにすぐ横にあっても気付かなかったりする。これはチャンスであり、いい機会が来ているのだが、気付かない。もったいに話だが、それほど探していなかったものだろう。
 さらにもう忘れていたような忘れ物が、見つかることもある。これもついでに見つけたもので、何か思い当たるところがあったのだろう。
 それでその片鱗を見て、ああ、以前から探していたものの一つだと気付くことがある。忘れているので、気にもしていないので、普段からの準備もない。ついでに引っかけてやれという魂胆もない。
 いい偶然がそこにあっても気付かない場合、これは残念だが、気付かないのだからそのこと自体分からないので、そんな後悔もない。
 また、よく見慣れたもので、よくお目にかかるものもあるが、邪魔な感じで、無視し続ける。探しているものではないので圏外。
 しかし、よくそれと遭遇する。これもついでに見てしまう程度なので、それを見に行ったわけではない。だから無視。
 ところが、果たしてそうだろうかと、確認したくなり、それを見る。紛らわしいものなので、はっきりさせたいのだ。
 すると、それこそが探し求めていたものだったと判明することがある。いつもよく見かける邪魔者、ノイズのようなものだが、そこにあるのに手にしなかったのだ。
 これも、もったいない話だが、どうでも良いようなものの中に、そういうものが混ざっていることもある。
 誰かが早く気づけ早く気づけて言ったのだろうか。いつもは無視するのに、覗いてみた。すると大当たりだった。そういうことがたまにあるのだが、ほとんどはスカ。
 それにそれを探しに行ったわけではなく、ついでに見かけたものなので、見ても見なくてもいいもの。
 探索の醍醐味はそんなところにある。それは偶然見つけたと言うことだが、最初からその偶然など期待しないだろう。一度あると、あるかもしれないと思い、丁寧に見ていくこともあるが、そのときの目的とは違うので、よそ見する余裕のあるときだけ。
 また、探しているものを見つけ出そうとしているとき、そこで、それを越えるものを見つけることもある。いずれも何かを探しているときの話で、探しに出ないとそういうおまけも大当たりもない。
 ついでの成果。これは何か神秘的な感じも受ける。誰かが通り道に宝箱をそっと置いてくれたように。しかし、それは分かりやすすぎるので、トラップだろう。
 だが、トラップだと思い無視するが、本当に中に宝が入っている宝箱だったとかもあるので、ここのところはよく分からない。どういう魂胆なのかと。
 探しているものは遠くにあるのではなく、近く、身近なところに普段からあったという話もあるが、これは探すための長旅をしないと分からないことかもしれない。そして探している最中、別のものを探し出したりする。
 いずれもうろうろしていることになるが、このうろうろが効くのだ。
 
   了


2024年3月2日

 

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