小説 川崎サイト

 

ドンピシャ

 

 山村は数日に一度ほどドンピシャと決まる日がある。一週間か二週間ほど、それがないときもあるが、そのうちやってくる。
 一年ぶりとか二年ぶりとかではなく。そして毎日はドンピシャと填まる日は来ない。これが毎日だと妙な気がする。連日では。
 そして、それはたまに来るからいい。そのためには何もない日が肥やしになる。要するに間が開くので。
 連日なら素晴らしいのだが、怖いような気がする。たとえば毎日幸運に恵まれ続けると、逆に怖くなるように。何処かで反撃を食らうのではないかと心配する。幸運なのに心配。何もない日ならそんな心配はないが、してみたいものだろう。幸運なことが起こるのだから。しかも毎日。
 何もない日は悪い日ではない。特に悪いことが起こっていないのだから平常。そこにたまに幸運が来る。山村はそれに期待し、楽しみにしている。
 それは仕掛けても駄目で、勝手にやってくる。何かが偶然揃うのだろう。またはその時期になっていたとかで、これは自然に来る。弄っても駄目で、狙えば狙うほど外れる。
 そのピシャッと決まる日、たまに短いサイクルで来ることもある。毎日ではないが、いつもよりも間が短い。待ち日数が。
 少し早いのではないと山村は思うのだが、よほど調子がいいのだろう。心配になるほどには続かないが。
 また、これはピシャッと来たかと思えたのだが、違っていたりすることもある。これではなかったようで残念だが、あと一つ何かが揃うとピシャッと決まったかもしれない。
 何が足りなかったのかは想像できるが、足りなくてもピシャッと決まることもある。だからそれは起こってみないと分からない。起こる前の予想は外れたりするので、余計な期待も入るためだろう。
 だからピシャッと決まる時を待つしかない。それは勝手に決まるのだから、それしかない。
 またピシャッと決まる間隔が長すぎると、心配になる。もうそんなことは起こらないのではないかと思う。
 間隔が短すぎても心配になるので、程よい間隔がいい。
 それを決めているのは山村ではない。勝手に起こることなので、それに任せるしかない。
 
   了



2024年3月6日

 

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