小説 川崎サイト

 

妖怪カビ

 

 妖怪博士はその日、よくある月参りに出た。
 これは依頼者宅にいる妖怪を封じ直すため。別に封印が一ヶ月で切れるわけではないが、たまにはその御札、貼り替えてもらいたいため。これは良い依頼主でお得意様。実は一度で良いのだが。
 春先とはいえ冷たい雨が降り、しかも風もある。難儀な日だ。妖怪博士は古くさいゴツゴツの竹の持ち手のあるコウモリ傘を差して歩いている。
 閑静な住宅地。一軒一軒の敷地が広い。月参りの依頼者の家は、こういうのが多い。そしてかなり前から建っていたような家。建て替えられている家もあるが、結構古い家が残っている。組み立て式のユニットを貼り合わせた家ではなく、普通の大工が幾日も掛けて建てたようなタイプで、同じ家はこの世に一軒しかないはず。注文住宅よりも凝っている。
 その一軒の門を潜り、玄関先でコウモリ傘を閉じる。傘立てが出ていない。中にあるのだろう。何度か来てているので、かって知った家。家の中のあらゆる場所を見ている。依頼主も見ないようなところまで。
 だからこの家、妖怪博士が一番詳しかったりする。これは妖怪を探すためと、妖怪が出入りしていそうなところに御札を貼るため。
 妖怪博士は時間通りに来たので、主人は用意していたらしく、すぐに出てきた。
 このタイプの妖怪。実は内にいる。家の中ではなく、その依頼主の中に。だからいくら家捜ししても、そんなところにはいないのだ。
 この説明を依頼主にも言っているのだが、やはり外部にいると思いたいらしい。なぜなら妖怪が自分の中にいるとなると、気持ち悪いだろう。依頼主そのものも妖怪か、となる。
 依頼主の身体の中にいる妖怪。胃のあたりなのか、肝臓か、腸かと調べるわけにはいかない。そういう機材もないが、妖怪が出たとき、身体の何処か妙なところがもぞもぞしないか、と聞いてみたことがある。
 すると、薄気味悪いものを見たときはみぞおちあたりがかすかに反応するとか。では、みぞおちに妖怪がいるのか。そんなわけがない。
「どうですかな、その後は」
「はい、出ませんが、出かかることがあります」
「でも出ていないのですな」
「はい、すぐに引っ込みます。封印のおかげかと」
「じゃ、また貼り替えておきますか」
「はい、よろしくお願いします」
「その妖怪、姿がなかったはず」
「でも輪郭があります。縁が」
「じゃ、枠だけの形でしたね。その形がよく変化すると」
「最近は見ていないので、忘れましたが、四角っぽかったり丸かったりで、そのフレームにもボリュームが感じられました。ああ、今は正面を向けているのだな、ああ、今は横かと」
「子供ぐらいの妖怪でしたね」
「大きな頭が付いているのが分かります。胴体は太いです。手足は短いです」
「はい、何度もお聞きしました」
 この依頼主が妖怪を沸かせているので、この人の背中にサロンパスかトクホンを貼れば話は早いのかもしれない。
「博士はこの妖怪、私の中にいるとおっしゃっていましたが、それも私なのでしょうか」
「腸の中にはものすごい数の生き物がいるらしいので、それに近いでしょ。なければ本体も生きていけませんから」
「その妖怪、身体のどこにいるのでしょう」
「一番臭いのは頭の中ですな。しかし、他の内蔵や管や血管やリンパ腺の中、筋肉の中かもしれません。妖怪という形を取って現れますからな」
 これは妖怪博士の嘘。
 妖怪博士は一服したあと、すぐに御札を貼り替えた。最近は一枚にしている。依頼主の部屋の中だ。普段よく使っている部屋の中で、一人になる機会が多い部屋。
 御札と引き換えにお札をいただくようなもので、何か悪い気にはなるが、断っても払ってくれる。
 その御札、仕入れ元があり、さすがに無料ではないが、そんな高価なものではない。いかにも効きそうな手書きでマジナイが書かれている。市販されていない。
 貼り終わったあと、雑談となり、依頼主の得意な話が始まる。それは明治に書かれた私小説っぽい小説の話題。もうカビが生えた世界に入り込むのが良いようで、かび臭さが溜まらないらしい。また布団の匂いとか畳臭さとか。
 さすがに妖怪博士はそんな知識はないので、聞いているだけだが、依頼主は楽しそうに語り、元気そうだ。御札の料金は、この話の聞き賃だと思えば、月参りに来て逆にお経を聞かされることになるのだが。
 依頼主が以前よく見た妖怪、発生源はこのあたりではないかと思われる。
 それでこの妖怪、カビと名付けていた。
 そして屋敷を出る頃、雨は止んでおり、あのコウモリ傘を開かなくてもよかった。開くとかなり大きいのだ。そして、こんな傘、何処で売っているのか、妖怪博士は持っている。
 
   了




2024年3月8日

 

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