小説 川崎サイト

 

覚者達

 

 修験荘があり、それは修行の道場でもあり寄宿所でもある。つまり、合宿所のようなもの。
 ここには目覚めた人、覚者がいる。というより、ここで寝泊まりをしたほとんどの人のこと。何十人もいるだろう。そして目覚めれば卒業のようなものなので、下界に降りる。日常に戻るのだ。
 そしてまた新しい人が入ってくる。都合百人近い覚者を育てたことになる。それほど指導僧が上手いのだろう。最短コースで悟れるようなもの。非常に要領のいい教え方をしているに違いない。
 百姓の善八も覚者で、農家の三男坊。暇なわけではないが、参加した一人。
「戻ってしまいました」
「おや、今まで修行されていたのでしょ」
「そこからの戻り道で既に戻り始め、家に着いたときは完全に覚めていました」
「覚者の修行をされたのだから、それでよろしいのでは」
「話をちゃんと聞いていましたか」
「え、何か、聞き違いでもありましたかな」
「悟ったのに、溶け出して、戻ってしまったのです。覚醒しました」
「え、元の常人に戻れたのですな」
「そうです。これならあの修行は何だったのでしょうか」
「村さめじゃないですか」
「村覚め」
「水っぽい酒を出す村がありまして、飲んで村から出る頃にはもう覚めているのです」
「ややこしいたとえですねえ」
「村覚めは、まだいい酒で、一番水っぽい直覚めもあります。これは店を出た瞬間、酔いが覚めるのですよ」
「じゃ、私は村覚めでしたか。少しは酔いも長持ちした方ですね」
「しかし、芝六さんはあなたがいないから忙しかったと言ってましたよ」
「ああ、水路が壊れたと騒いでいました。明日直しに行きます」
「それがよろしい」
「しかし、何でしょうねえ。一度目覚めればもうその境地の中にずっといられると思っていたのですが、こんなにすぐに覚めるとは」
「まあ、目覚めと同じでしょ」
「そうなんです。目覚めたので。分かったのです。この世のことが全て」
「それは大きな話ですなあ」
「しかし、修験荘を出たら覚めました」
「そちらの覚醒の方がよろしいのでは」
「戻ってしまったのですよ」
「だから水路の修繕もできるじゃないですか」
「嫌々ですよ。目覚めた状態なら、違った頭になっているはずですが、やはり嫌なものは嫌です。あの水路、蛇の巣がありましてね。カエルやヒルも多いし」
「それでいいのですよ」
「でも目覚めって何でしょう」
「朝、目覚めるのと同じですよ」
「ああ、それじゃ毎日私は目覚めた人か」
「そうですよ、善八さん」
「違うと思いますが」
「あ、はい」
 
   了




2024年3月9日

 

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