小説 川崎サイト

 

ピタリと填まる

 

 ピタッと填まることがある。これとこれがピタッと当てはまるとか。予定通り、思っていた通りに行くとか。
 これはピタッと填まるだろうと思っていることでも填まらないことがあるので、上手く填まったときは当然のことだが、無事に填まったことで喜ばしく思う。当たり前のことだとはいえないので。
 その填まり方だが、関係のなさそうなものとピタッと填まったりする。これは関連があるのだろう。知らないだけで。このときは驚く。
 こんなものとくっつくのか、こんなものと共通点、互換性があったのかと。無縁のはずが親戚になったりする。縁者に。
 条件が揃うとピタッと来ることがある。一つ欠けていると填まらなかったりするので、それだけのことかもしれない。
 これは準備や用意がよかったのだろう。それでもピタッと来ないときもあるので、完璧ではない。いくらいい条件や状況やタイミングでも。
 ピタッと填まらないかもしれないが、その近くまで寄せることはできる。これは結果が楽しみだ。
 そういった仕掛けものではなく、事柄の流れの中で最後には上手く行くこともある。まるで最初から予定されていたかのように。
 本人は仕掛けていないし、作為的にはなっていない。その順番などに関して。
 そういうタイプで、ピタッと填まったときは、ああ来たか程度で、それほどの驚きはない。そういうものかと思う程度。
 これは仕掛けたり狙ったりしていないためだろうか。自然とそうなった。自ずとそうなった程度。勝手にそうなったのだから、これは何だろうとは思うものの、それなりに自然なのだ。感情の起伏はあまりなかったりする。
 まるで最初からそうなるように決まっていたわけではないが、そこに文字通り填まるのだろう。悪いことなら落とし穴に填まるようなもの。いい場合は物事がピタリと填まる。いいところに到着する。
 しかし、誰かが仕掛けたわけではない。本人が何処かで仕掛けていたのだろう。気付かないだけで。だからシナリオを書いたのは本人だったりする。そして書いたことを忘れていると言うより、書いた覚えがない。しかし書いていたのだ。
 そしてあとで思い出すと、あれをやっていたからかな、とかになる。
 一度ピタリと填まると味を知る。同じことがまた起こるようにとか、填まりそうなものを探したり。
 そして強引に繋げたり、強引に仕掛けたりしそうだが、そういうときほどピタリは来ないで、外れたりする。
 こう言うのは勝手に決まると思い、任せておいた方がいいのかもしれない。下手に弄らないで。
 
   了


2024年3月21日

 

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