小説 川崎サイト

 

一周回って元の位置

 

 どうしても戻ってしまうことがある。元に戻って元の位置。父帰るではないが。
 やはりそこへ戻ってしまうのは、それが好ましいためかもしれない。そこから脱しようとしているわけではないが、他へ目移りがし、少しやってみようと思う。それは事柄と物とでは少し違うが、物の場合、あまり動かない。そのものが固定し、変化しにくい。劣化はするが。
 事柄の場合、タイミングや相手が変わることがある。物のように以前とは同じではなかったりする。急に態度が違うとかだ。
 物に対する場合、自分の変化が大きい。物は変わりにくいのだから、その接し方、受け取り方だ。
 そして物なら次々に好きなように変えてもいい。物と自分とだけの関係のため。だから自分だけが変えたり変わったりしているので、ただの自作自演かもしれない。そしてうろうろした末、元に戻るというのはよくある。
 一周回って元に位置となるのだが、ぐるぐる回っていた期間があり、同じところにまた戻ってきたのだが少しだけ意味合いが違ってくる。
 これは見直したとか、やはりこれがいいとかの得心の仕方が違い、接し方や受け止め方も変わる。だからうろうろしていたのは無駄ではない。ただ、無駄は無駄なのだが、そのおかげで目移りしなくなったりしやすい。つまり、もうあまりうろうろしなくなる。その動機が少し消えるためだ。
 元に戻ってしまう物や事柄はひとつではなく複数ある。そして戻らず、そのまま放置し、もう顧みなくなる物事もある。戻りがなかったので、行きっぱなし。それはそれで仕方のないことと言うよりも成り行きでそうなる。
 この成り行きが曲者で、かなりのものが凝縮され詰め込まれている。いろいろな要素が。
 その成り行きに走らせるのは何となくかもしれない。いいように思えるとか、そう感じるとか、やってみたい、体験してみたいという要素も加わっているので、結構曖昧なのだが。
 成り行きでそうなったのだから仕方なしとも言えるし、妥当なところだとも言える。妥当の方が聞こえはいいだろう。よい加減、よい案配という程度で、まずまずの落とし所。しかし、これも変化するので、ずっとそのままというわけにはいかない。
 元に戻ると言っても、その元も変わってしまうこともある。元を正せば侍育ちのように変わることはないものもあるが、それで何をしたのかという生まれてからその後のことが元になる。実体験したことなので、身体が知っているというか、体感も加わっている。
 つまり、自分で企てたことが元としてふさわしい。元々をたどれば切りがないので、ここ最近のことでもいいだろう。
 しかし、元々は、というのはいいわけで使いやすい。元々を重ねるのではなく、最近の傾向程度でいい。手が届く範囲の。
 そしてうろうろして元に戻ったとしても、それがやはり一等だということではなく、今のところ、それが一番近い程度に押さえ、固守することはない。
 だからいつでもまたうろうろしてもいい。そしてまた戻ってしまうのなら、かなりの強度だろう。そのものに引力がある。
 
   了


 


2024年3月26日

 

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