小説 川崎サイト

 

山桜の怪

 

「憲真方面へ遠出しましょうか」
「憲真は敵地、大丈夫か」
「馬慣らし、いくさではありません」
「そうか。ならばいいが」
「憲真の山桜は絶景。若殿も是非一度見ていただきたいと思いましてな」
「領内にも名所はあるだろ」
「いや、憲真ほどではありません」
「分かった行ってみよう」
 若殿は数騎で遠出した。鎧兜姿ではない。
 供も弓や槍はなし。物見遊山のようなものだろう。
 領内を過ぎても変わったことはない。山と山の切れ目があり、そこから敵地に入っていけるが、ここは僻地。
 最後に休憩した村も小さく、若殿のことも当然知らない。しかし立派な騎馬武者姿なにで、身分の高い人だとは分かる。家来も全員騎馬なので。
 山間を抜け、すぐに山間に入る。一寸した渓谷だ。そして馬はそこまで。
 これが鎧を付けていたのでは登れそうにない山。まだその裾のだが、坂はきつい。その中腹に山桜が咲いている。下からも色で分かる。かすんでいるような、山に紅が差したような。
「見事じゃのう」
「もう少し近づけば、もっと広がって見られますぞ。頑張ってお登りください」
「爺こそ、その年で大丈夫か」
「いくさ場で鍛え上げた身体。この程度では平気でござります」
 後詰めの家来が、何やら話している。知らせるべきかどうかと。
 その声、筒抜けなのでどうしたのだとお守り役の老臣が尋ねる・
「誰かが尾行してきているような」
「見て参れ」
「はっ」
 しばらくして、戻ってきたが、そのような賊はいなかったらしい。
 それで登り出すと、また気配がするという。坂道は曲がりくねっており、下の方はよく見えない。それに尾行者なら道に姿を現さないだろう。
「爺、敵か」
「ここの領主大谷殿の兵ではありません」
「じゃ、誰だ。山賊か」
「違います。これがそうだったのでしょうか」
「何がだ」
「噂に聞く憲真桜の怪」
「妖怪か」
「昔、あの桜のあるところまで落ち延びた武者が、傷つき、疲れ果て、自決したと言われております。当時は桜などなかった。その後、供養のため、桜を植えたのです。今は見事な朱色。しかし、それは血の色とか」
 その怪はそこまでで、襲ってくるようなことはなかった。
 山桜の下まで来た主従はその根元に酒を注ぎ供養した。
 
   了



2024年4月9日

 

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