小説 川崎サイト

 

失敗と成功

 

 失敗しそうなとき、これは失敗すると、そのイメージが来る。普通だろう。
 また、これはどちらかが分かりにくいとき、どちらのイメージが来るだろうか。どちらでもないかもしれない。
 失敗するかもしれないとは言い切れないし、成功するとも言い切れない。だから分からない。ただ半々だとすると失敗の確率の高さから、どうせ失敗するだろうと、思う方があとが楽。
 最初から失敗すると思っていたので、その通りになっただけ。しかし確率が半々なら成功する可能性も半分ある。しかし半分では頼りない。
 ただ成功する率は失敗する率と同じなのだから、二回に一回は成功するという計算になる。ただし平均しての半々なので、連続して失敗することもあれば、連続して成功することもある。
 どちらにしても確実に成功するわけではないので、これは失敗に賭けた方がいい。失敗を望んでいるわけではないが、どうせ失敗するだろうと思っている方が楽。
 その予測の影響で失敗になったとしてもいい。念じても念じなくても変わらないのだが、気持ちが違うので対し方が違う。これで緊張して普段通りに行かなくなり、失敗することもある。
 だが失敗すると思っておれば、そんな緊張はないし、期待もない。ただ、暗に成功を狙っていたりするが、万が一の成功だろう。万に一つだ。実際には五分五分なので、確率は万に一つよりもかなり高い。高すぎるほど。
 それとは別に失敗も成功にもとらわれなくなるといいのだが、そうはいかないだろう。失敗は避けたい。成功の方が望ましい。その下地下心は消えない。無理に消しても、やはり残る。
 ただ、失敗しても成功しても大したことはない場合は別だ。失敗しても成功しても別に困らない。どちらでもいいような事柄なら軽く扱える。それに持ち込めば余裕があるので、成功失敗はどうでもよくなることになる。しかし、あまり価値のないことでの話だ。
 良いものに対しての失敗は惜しい。良いものでの成功は好ましく、喜ばしい。これはやはりつきまとうもの。そうでないと喜怒哀楽がフラットになりすぎて、ぼんやりしているようなもの。
 失敗の辛さがあるから、成功したときの喜びが大きい。だから失敗は効果のために必要なのかもしれない。
 絶対に成功することなら、それほど喜びも嬉しさも感動もない。箸でご飯を食べるようなもの。これを成功だとは思わない。ただ、指や手を怪我で上手く使えない場合、少しは喜ばしい。普通に茶碗と箸を持てるのだから。
 しかし、失敗ばかりで成功が一度もない場合、失敗は失敗のまま終わり、何の肥やしにも効果にもならないのだが、失敗慣れというこなし方を会得できる。失敗耐性が強くなり、恐れず挑めたりする。
 さて、本当にそうなるのかどうかは、失敗を続けないと分からない。何処かで成功してしまうためだ。
 
   了



2024年4月17日

 

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