小説 川崎サイト

 

妙案

 

 筋書き通りだといいのだが、なかなかそうはいかない。筋書きを書いたのはその手前、またはもっと以前かもしれないが、それほどの昔ではない。しかし何十年前に作った筋書きもある。それはさすがに通用しなかったりする。
 最近書いた筋書きでも、それをやる場合、思わぬ伏兵が忍んでいたり、またその筋書きをやるのが億劫になることもある。書いたときと気持ちが変わり、状況も違うためだろう。
 それでは筋書きなしで実行するのはどうだろうか。しかし、これもパターン化された筋を使うことが多い。書き手はいないが、妥当な筋が既にあるので、それに乗ることになり、決して行き当たりばったりではない。そちらの方が筋書を立てなくてもいいので、楽だし、余計なことを考えなくてもいい。
 そして何処かで具合が悪くなればそのときはそのとき、選べる道があるのなら、そちらを通るだろう。これはライブ感覚で、その場に応じた動きとなるので、きっちりとした筋書き、つまりシナリオよりも融通が利く。
 ただし妙案というのがあり、これは自動的な成り行きのレールではできないこと。自然に任せておけば、決まったような決まり方をするため。それを打開するため、自動運転では通らない道を想定し、強引にそこへ踏み込むような筋書き。
 その筋書き通りにやれば、普段とは違う展開になるので、筋書き通り闇雲にやるのがいい。筋書きから外れると、最初の妙案が妙案ではなく、平凡なものになってしまう。
 その種の妙案。作るだけで実行しないことも多い。それにやる前、躊躇しやすい。それは妙案だけに妙なことをするためだ。
 ただ、その妙案と同じ事を、行き当たりばったりでやっているとき、偶然そうなってしまうこともある。ただ、成り行きによるアドリブなので、再現性がない。
 妙案はいくらでも浮かぶが、本当に実行できるものは少ない。
 ただ、その妙案で何が得たいのだろう。非常にいい解決案だった場合、解決が目的。何かを果たしたことになる。その妙案だからこそ果たせたとなる。
 どんな方法であれ、目的が果たせたのなら、下手な筋書き通りでもいいし、適当でもいいし。妙案でもいい。どれも大した違いはないだろう。出所が本人なら。
 
   了



2024年4月19日

 

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