小説 川崎サイト

 

丹下山の経堂

 

「丹下山の経堂ですか」
「昔、行ったことがある。今はどうなっているのかのう」
「丹下山と言えば、少し奥まったところにある平たい山です」
「その中腹に平らなところがあってな。そこにお堂が建っていた。人が中に入れるほどの大きさでな。板壁で囲まれ、窓もある。段もあり、そこに太子像が置かれていた。その後ろの板壁、左右の板壁、至る所にお経が貼り付けられておった。それで経堂と呼ばれておったのだ。それでわしは行ってみた」
「私が家来になる前ですね」
「そうじゃ、ついてきた側近に聞くと、そのお経、法華経らしいとか」
「誰かが書き写して、貼り付けのですね」
「それが見事に写し取られておるが、文字は大きめじゃ。側近は頭の方が法華教の文句だったので、そうではないかと思ったとか」
「巻物にして奉納するというのではなく、一枚一枚を貼り付けているのですね」
「側近は怪しさを覚えたらしい。まるで文字の中にいるような」
「でもありがたいお経なのでしょ」
「まるで、耳なし芳一じゃと」
「その経堂、どうなりました。あ、丹下山は領内に近いので、調べさせれば分かります。調べますか」
 その側近が調べさせたところ、丹下山はなだらかな山で、その中腹は見晴らしがよく、遊山にはもってこいだとか。
 中腹のお堂は木こりや猟師が建て、屋根もあるので、一寸した山小屋。雨宿りできるし、休憩にも使える。しかし、堂内は納屋のようにはせず。太子像が置いてあるだけ。この太子像。子供の姿をしている。どこから持ち込まれたのかは分からない。
 写経し、それを貼り付けたのは下の村の大庄屋の隠居。写経の好きな爺さんで、経堂を作るように命じたのもこの人。
 村で気が触れたり、何かややこしいことになった人を、この経堂に入れ、しばらくすると、直っていたとか。経文が効いたのだが、村人では読めないはず。だから文字に囲まれているだけでも、効くとか。
 四面の隙間は全てお経の文字で埋め尽くされている。文字がものを言うとは考えられない。読めれば別だが。しかし、漢字なので絵のようにも見える。
 そういう丹下山の経堂だったが、側近がその後のことを聞くと、もうただの山小屋になってしまったとか。貼っていたお経は、そのうち紙が破れたり、雨漏りや、隙間風で飛んで剥がれたり、また貼り付けていたノリが効かなくなったとか。
 それでもまだ残っている紙がある。朽ち果てるまでそのままにしているようだ。既に蔓草が経堂を飲み込んでいる。
「ということです」
「ご苦労じゃった」
「行かれますか」
「今度な」
「あ、はい」
 
   了
 


2024年6月8日

 

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