小説 川崎サイト



気になる木

川崎ゆきお



 気になる木がある。
 大通りから外れているため、その気にならないと、木の下まで行けない。
 また行く用事もない。
 その木は大木で、この地方の神社でよく見かける。
 しかし、神社なら参道のような通りがあり、灯籠の一つでも立っているはずだ。
 既に鎮守の森を中心とした村社会は消滅しており、近くに田畑は一つもない。
 それでも神社なら、それなりの残り方をしているはずだ。
 その大木の下に神社があるに違いないと思い続けていたのだが、確認したわけではない。
 また、それを調べたとしても、極めて個人的な気掛かりを晴らすだけで、暇人の暇つぶしに過ぎない行為だ。
 その日は余程暇を持て余していたのか、あるいは元気だったのか、木の下へ行ってみようと決心した。
 通りから数十メートル程度奥に入った距離で、遠い場所ではない。
 ただ、通りから直接道が出ていないため、住宅地の中を回り込まないといけない。今まで、それがきっと面倒だったのだ。
 その大通りは新道で、大木のある場所とは関係なく走っている。そのため、大木へ繋がる道は出ていないようだ。
 これ程の大木が田畑の真ん中に立っていたとは思えない。どう見ても神社や寺、あるいはそれに近い村の重要な場所跡に違いない。
 そうなると、必ず由緒正しい道筋があるはずだ。
 その道は宅地の中に消えてしまったのか、見当たらない。
 大通りから、とりあえずその方角へ入り込んだ。
 住宅用の生活道路で、行き止まりになりそうな道だ。
 背の低いマンションや安っぽい三階建て家屋の隙間から、時折大木の茂みが見える。目的地を見失うことはないが、この道がそこへ繋がっているとは限らない。
 案の定行き止まりとなる。
 車が入り込めないほど細い道なので、この先行き止まりとか、抜けられませんとかの表示はない。
 アミダクジの引き直しのような感じで、大通りから違う道に入り直す。
 車が入り込める道で、各戸の車庫と繋がっているのだろう。一般車両が通り抜けるような道ではなく、住んでいる人の車用だろう。
 しかし、今度も辿り着けない。
 行き止まり場所に文化住宅があり、その向こう側に大木がある。文化住宅の裏側に入り込めそうだが、大木と文化住宅はブロック塀で塞がれており、しかも上には鉄条門が張り巡らされている。それを強引に飛び越えれば、泥棒と同じになる。
 そうまでして行かなければならない用事はない。ただ木が気になるだけのことで、それを晴らすだけでは、リスクが大きすぎる。
 その住宅用の車道は、左右の各戸を繋いでいるだけで枝道はない。
 仕方なく、また大通りに戻る。
 別の通りから枝道が出ているのだろう。それを探すのも面倒だ。
 決して辿り着けない場所ではないが、普通の家の裏庭だと、木の下には行けない。
 しかし、その近くまでは行けるはずだ。
 今度また気が向けば、その木の下を探り当てるだろう。
 その日を楽しみにしている。
 
   了
 
 

 

          2005年7月22日
 

 

 

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