小説 川崎サイト

 

アパート家賃

川崎ゆきお



「暖かくなりましたなあ」
 家主が言う。
「財布の中は真冬のままだよ」
「桜のつぼみも膨らみ出しておりますよ」
「僕は今年も芽が出ないよ」
「まあ、そうおっしゃらず。挨拶ですがな」
「ところで」
「またですかな」
「まだ、言ってませんよ」
「家賃が払えぬから待ってくれじゃろ」
「当たり」
「しかし三カ月もためるとさらに苦しくなるぞ。安い家賃でもたまるとでかい」
「来月ひと月分払います」
「だめだめ、全部でないと」
「それは苦しいです」
「だから、ためると苦しいと言っとる」
「大家さんは苦しくないでしょ」
「苦しいさ」
「家賃収入がなくても食べていけるのでしょ」
「わしのことはどうでもよい。あんさんの問題だよ」
「じゃ、サラ金で借りてきます」
「わしは、そこで人情を示すと思うておるじゃろ」
「はい」
「じゃ、あんさんに金を貸す。サラ金のようにな」
「じゃ、家賃分貸してください」
「いいが、利子をとるぞ」
「サラ金より安いでしょ」
「まあな」
「じゃ、家賃の問題はこれで解決ですね」
「まあ、一応金を渡すから、あらためて払ってくれ」
「どうせそれを家賃で大家さんに渡すのですから。現金を移動させる必要はありませんよ」
「そうだな」
「じゃ、今日はこれで」
「わしが貸した金はいつ返してくれる」
「それはもうすぐに」
「それができるなら、家賃も用立てできるだろ」
「今日すぐではないですよ」
「じゃ、明日か」
「もう少し先です」
「まあ、家賃を払ってもらったのだから、今日は引き上げよう」
 植山は、そんなことを思い出していた。青春時代の話だ。
 もうそんなアパートは存在しない。
 あの時の大家のお爺さんは生きていれば百を越えているだろう。
 お爺さんへの借金は就職してから返した。
 今、植山はワンルームマンションのオーナーだが、そんなエピソードもなく、実に味気無い。
 
   了

 


2008年03月09日

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