夕陽ヶ丘
川崎ゆきお
金曜の夜だった。
政岡は地下鉄に乗っていた。
亜衣との約束時間は10時半だった。
天王寺へ向かう谷町線は、それほど混雑していないので座ることができた。亜衣とやっと会えることで、政岡は興奮していた。
亜衣とは有料の出会い系サイトで知り合った。亜衣を含め十人以上の女性を紹介してもらったが、実際に会うところまで辿り着けたのは彼女だけだった。
これでもう高い会費を払わなくてもよくなった。
最初、亜衣もサクラではないかと思ったのだが、メール交換を繰り返すうちに、同じ趣味であることが分かった。
メールのやり取りは一日数回となり、お互いの気心も分かり、直メールに切り替えた。それと同時に、そのサイトからも脱会した。
政岡は本当に知り合えたことに感動さえ覚えた。
それから一週間ほど、直メールでの甘いやり取りを繰り返した。
あまりにも上手く行き過ぎていることに、政岡は不審を抱くようになり、メールではなく、電話で声を聞きたいと頼んだ。
亜衣は断った。
やはりそうかと政岡は感じ、その疑惑をメールに書いた。
返事は三日ほど来なかった。
政岡の疑惑は、亜衣が男ではないかという事だった。
しかし、その疑惑は論理的におかしいことに気づいた。
会員を引っ張るためならあり得るが、政岡は既に脱会している。
そして返事が来た。
そんな疑いの目で見られていたのがショックだったという文面だった。
政岡は非礼を詫びた。
亜衣は電話が苦手だけど、それで安心するのならと、携帯番号を知らせて来た。
政岡はすぐに電話した。
メールを受け取り、すぐなので、いるはずだ。
亜衣の声が聞こえた。気の弱そうな小さな声で、やり取りの声も上ずっていた。
それから一週間が経過した。
もうメールでのやり取りは終わった。
その代わり、毎日電話で話すようになった。
亜衣も慣れてきたのか、普通に話せるようになっていた。そして、今、政岡は亜衣と会うため、地下鉄に乗っているのだ。
金曜日の夜、ホテル街の裏口である夕陽ヶ丘駅で…。夕陽ヶ丘に近づいたので政岡は読みかけの本を閉じ、カバンの中に仕舞おうとした。
その時である。
急ブレーキがかかった。
政岡は横に座っている中年婦人側に倒れかけた。幸い婦人も横へ傾いたので、ぶつかることはなかったが、右側の青年が倒れ込んで来た。
その青年の手がカバンにあたったのか、落ちかけた。
政岡は慌ててカバンをつかんだのだが、それがいけなかった。
本を仕舞うためファスナーが開いていた。
カバンは落ちなかったが中の物が床に飛び出た。
急ブレーじをかけたことを詫びるアナウンスが流れたが、政岡はそれどころではなかった。
カバンの中身を全部吐き出してしまったのだ。
芋虫のような生き物が、若い女性客の前で体をくねらせている。かすかにびーびーと音がする。
女性客はじっとそれを見続けている。
落下した時、リモコンのスイッチが入ってしまったのだろう。
芋虫は肌色で男根をリアルに再現していた。
芋虫はくねくねと左右に体をくねらせながら、女性の足元に近づいている。微振動で動いているのだ。芋虫の根元から伸びた触覚のようなものが目にも留まらぬ早さで振動する。
足元に来た逸物を、女性客はなをも見続けている。
政岡は赤いローソク数本を真っ先に回収した。危険物である可能性が一番高かったからだ。
老紳士が二十センチほどの棒を拾い、スルスルと延ばしていた。まるで携帯釣竿のような形をしているが、先には糸ではなく、革紐のようなものが垂れ下がっていた。
政岡はすぐにそれを取り上げ、釣竿を短く縮めた。
遠くの方で声がした。かなり離れた場所からだ。
注射器がそこまで転がったのだろう。
巨大な注射器には針はついていなかった。
隣に座っていた青年が芋虫のリモコンスイッチを切ってくれた。
若い女性客はまだ見続けている。
政岡は最後に芋虫を取り上げ、タオルに包み、カバンの中へ回収した。電車は何事もなかったかのように夕陽ヶ丘のホームに滑り込んだ。
了
2005年9月17日